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NBA

“ジョーダンズ・ブルズ”で3連覇に貢献。生涯で8つのチャンピオンリングを手にしたスティーブ・カーの栄光のキャリア【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.02.08

現役時代に多くのスター選手や名将と過ごした経験を活かし、コーチとしても才能を発揮。スター選手の扱いにも長け、5年間で3度の優勝を手にした。(C)Getty Images

現役時代に多くのスター選手や名将と過ごした経験を活かし、コーチとしても才能を発揮。スター選手の扱いにも長け、5年間で3度の優勝を手にした。(C)Getty Images

 97-98シーズン限りでブルズを去ったカーは、翌年サンアントニオ・スパーズで4度目の優勝を味わう。だが移籍後は出場時間が大幅に減少。99-2000シーズンには平均8.4分のプレータイムしか与えられず、翌年オフにポートランド・トレイルブレイザーズへトレード。すでに36歳になっていた彼は、このままフェードアウトするだろうと多くの人間が思った。

 02-03シーズン、カーは1年ぶりにスパーズに復帰。シーズン中の成績は前年とほとんど変わらなかったが、プレーオフで最後の輝きを放つ。ダラス・マーベリックスとのカンファレンス決勝第6戦では、第4クォーターだけで4本の3ポイントをマーク。15点差を跳ね返す逆転勝利の立役者となり、カンファレンス制覇を決定づけた。

 ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツと対戦したファイナルでも、第5戦の第4クォーターに劣勢の場面で登場すると、流れを変える2本のシュートを決めてみせた。

「それまで試合に出ていなくても、彼には常に用意ができているんだ」(ティム・ダンカン)。5個目のチャンピオンリングを手にしたカーは、「マイケル、スコッティ、ティム、デビッド(・ロビンソン)……いつも素晴らしいチームメイトに囲まれて僕はラッキーだった。ここで引退すれば最高の形になるかな」と語り、同年8月に現役生活に別れを告げた。
 
 その後は04年にサンズのコンサルタントに就任し、07年からはGM(ジェネラルマネージャー)を務めた。マジック時代に一緒にプレーしたシャキール・オニールをトレードで獲得するなど、積極的に補強を進めたが結果が伴わず、10年に退任。その後解説者を経て、14-15シーズンからウォリアーズのHCを任されると、いきなりチームを40年ぶりのリーグ優勝へ導く。翌シーズンには年間73勝、選手時代に自分たちが打ち立てたNBA記録を更新して、最優秀ヘッドコーチ賞に輝いた。

「時には重要な仕事を任され、ある時は12番目の選手でしかなかった。でもたとえ12番目でも、こんなにいい働き場はそうはないだろう。大学時代にスターだった連中のなかには、控えを受け入れられない者もいる。でも僕はNBA選手になれるなんて思っていなかったから、どんな役目でもハッピーだったんだ」

 並外れた身体能力はなくとも、カーは父から受け継いだ明晰な頭脳で自らの能力を把握し、その限界もよくわきまえていた。NBAで充実したキャリアを送るには、いくつもの方法があることを、カーの指に光る8つのリングが証明している。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年3月号掲載原稿に加筆・修正

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