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NBA

【NBAデュオ列伝】解散、再結成、そしてまた別の道へ。そのすべての過程が、ジョーダンとピッペンを“史上最高のデュオ”たらしめた|後編

出野哲也

2020.05.15

 そして“ラストダンス”となる1997-98シーズンが開幕する。ピッペンの欠場中は王者らしからぬ戦いを繰り広げたが、ジャクソンHCも含め、経営陣に対する反感を全員が共有していたおかげで、チームはおもしろいほどひとつにまとまっていた。苦戦の末カンファレンス決勝でインディアナ・ペイサーズを倒すと、ファイナルでは2年続けてジャズを破り、2度目の3連覇を成し遂げる。

 ジョーダンは再三「フィルとスコッティと一緒なら、現役続行の可能性はある」と公言していた。しかし、すでにジャクソンHCもピッペンもブルズを去ることを決意。ロックアウト明けにジョーダンは正式に引退を表明し、ジャクソンHCは辞任、ピッペンもヒューストン・ロケッツへ移籍したことで、ブルズ王朝は終焉を迎えた。
 
 その後ピッペンはロケッツとポートランド・トレイルブレイザーズで5年間を過ごしたが、その間1度もファイナルには進めず。『ボストン・グローブ』紙のボブ・ライアンは、ピッペンを「ジョーダンと一緒ならリーグで2番目の選手だが、そうでなければ20番目くらい」と評したが、こうした声を完全に封じることはできなかった。

 ジョーダンも2001年、ワシントン・ウィザーズで3年ぶりの現役復帰を果たしたが、やはり衰えが顕著に。しかもウィザーズは、ジョーダン入団時のブルズのように、目的意識に欠ける集団だった。ウィザーズで過ごした2年間、ジョーダンはピッペンの存在価値がいかに大きかったか、改めて認識したに違いない。

 真に偉大な選手は、周りの選手を向上させる。ジョーダンはピッペンを鍛え上げ、ブルズを常勝集団とした。だが、ピッペンの支えがなければ、“偉大ではあるがチームを勝たせられない選手”にとどまっていたのかもしれない。その意味で、ピッペンもまた、ジョーダン同様に偉大な選手なのだ。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2004年2月号掲載原稿に加筆・修正。

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