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NBA

【NBA背番号外伝】“ビッグO”、ボーグス、ジャクソン…PGに人気の“背番号1”。かつては日本人初のNBA選手も

出野哲也

2020.08.17

日本人初のNBA選手である田臥勇太は、2004年にサンズで1番をつけてプレーした。(C)Getty Images

日本人初のNBA選手である田臥勇太は、2004年にサンズで1番をつけてプレーした。(C)Getty Images

 1番は“オーランド・マジックのエースナンバー”でもある。同球団の初代1番は93年に入団したアンファニー・ハーダウェイ。スリムな体型と躍動感あふれる彼のプレーには、ブルーのストライプの1番がよく似合っていた。アマチュア時代に馴染みの25番は、マジックではニック・アンダーソンがつけていたので、ニックネームの“ペニー”が1セント銅貨の別称であることから1番を選んだ。その後フェニックス・サンズ、ニューヨーク・ニックスでも1番を背負い、最後の年にヒートで7番だった以外はずっと背番号1を通した。

 ペニーのイメージをそのまま受け継いだのが、00~04年に在籍したトレイシー・マッグレディ。ラプターズ時代から背番号1で、マジック在籍時に2度得点王になっている。06年に入団したトレバー・アリーザも体型はペニーやマッグレディに似ていたが、2人ほどの活躍はできなかった。現役では、17年ドラフト6位入団のジョナサン・アイザックが期待されてこの番号を与えられている。

 また、1番は選手以外の栄誉を称えて欠番になっているケースも多い。ボストン・セルティックスでは初代オーナーのウォルター・ブラウン、ブレイザーズも同じく初代オーナーのラリー・ワインバーグ。ユタ・ジャズのヘッドコーチ、のちに球団社長として黄金期を築いたフランク・レイデンにも1番が贈られている。この3人は実際に1番のユニフォームを着たわけではなく、ブレイザーズでは欠番制定後も1番をつけた選手が何人もいるなど、あまり重みのない欠番だ。
 
 史上初の日本人NBA選手である田臥勇太も、サンズで1番をつけていた。本当は日本時代の番号だった13が希望だったのだが、スティーブ・ナッシュの番号だったので諦め、好きな数字との理由で1番になった。

 田臥のほかハーダウェイ、スタッダマイアーもつけたサンズの1番は、今ではデビン・ブッカーの背中を飾っている。2年目の16-17シーズン、1試合70点の超絶パフォーマンスで名を上げ、初めてオールスターに選ばれた今季もリーグ9位の平均26.6点。“カクタス(アリゾナ州)・マンバ”と呼ばれるスコアラーは、ケンタッキー大学時代からずっとこの番号で通している。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年2月号掲載原稿に加筆・修正。

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