【センター】
ボブ・マッカドゥー
1951年9月25日生。206cm・95kg
カレッジ成績:31試合、平均19.5点、10.1リバウンド
NBA成績:852試合、平均22.1点、9.4リバウンド、2.3アシスト
正統派センターでは、86年のドラフト1位でクリーブランド・キャバリアーズに入団、オールスター出場5回のブラッド・ドアティがいる。しかし故障のため8年で引退したこともあり、ストレッチ5の先駆者的存在であるマッカドゥーを上回るには至らなかった。ジュニアカレッジから転校したため、UNCには1年在学したのみ。72年のドラフト2位で、ユニフォームがUNCに酷似していたバッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)に加わり、2年目の73-74シーズンはリーグ1位の平均30.6点。以後3年連続30点以上&得点王、この間はリバウンドも平均12本以上奪った。当時のヘッドコーチ、ジャック・ラムジーが「彼がキャリアを終える頃には、史上最高の選手になっているかもしれない」と言った際には「もうそうなっていると思うぜ」と嘯いたという。その後は様々なトラブルもあって下り坂となったが、一時代を築いた名選手だったのは間違いない。
【シックスマン】
ヴィンス・カーター
1977年1月26日生。198cm・100kg
カレッジ成績:103試合、平均12.3点、4.5リバウンド、1.9アシスト
NBA成績:1541試合、平均16.7点、4.3リバウンド、3.1アシスト
NBAでの通算出場試合数1541はUNC出身者で1位。3ポイント成功数2290本も1位、総得点2万5728もジョーダンに次いで2位のカーターは、たとえシックスマンでもメンバー入りさせるべきだろう。在学中は同級生のジェイミソンの方が、ウッデン賞、ネイスミス賞に輝くなど目立っていた。だが他ならぬジェイミソンとのトレードで、98年にトロント・ラプターズに入団すると立場が逆転。平均18.3点の成績以上に、芸術性と爆発力を兼備したダンクでたちまち人気選手となり、UNCのOBではジョーダン以来となる新人王も受賞した。2000年のスラムダンク・コンテストでは、史上最高とも評される強烈なダンクを次々に決めて優勝、同年のシドニー五輪での「人間超えダンク」も鮮烈な記憶を残した。成績的には3年目の平均27.6点がピークで、ファイナルの舞台も踏めずじまい。その代わりスターの座から降りても細く長い選手生活を続け、リーグ史上初めて4世代(1990~2020年代)でプレーした。
文●出野哲也
【PHOTO】引退後もその影響力は絶大!NBAの頂点に君臨するバスケットボールの”神様”マイケル・ジョーダン特集
ボブ・マッカドゥー
1951年9月25日生。206cm・95kg
カレッジ成績:31試合、平均19.5点、10.1リバウンド
NBA成績:852試合、平均22.1点、9.4リバウンド、2.3アシスト
正統派センターでは、86年のドラフト1位でクリーブランド・キャバリアーズに入団、オールスター出場5回のブラッド・ドアティがいる。しかし故障のため8年で引退したこともあり、ストレッチ5の先駆者的存在であるマッカドゥーを上回るには至らなかった。ジュニアカレッジから転校したため、UNCには1年在学したのみ。72年のドラフト2位で、ユニフォームがUNCに酷似していたバッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)に加わり、2年目の73-74シーズンはリーグ1位の平均30.6点。以後3年連続30点以上&得点王、この間はリバウンドも平均12本以上奪った。当時のヘッドコーチ、ジャック・ラムジーが「彼がキャリアを終える頃には、史上最高の選手になっているかもしれない」と言った際には「もうそうなっていると思うぜ」と嘯いたという。その後は様々なトラブルもあって下り坂となったが、一時代を築いた名選手だったのは間違いない。
【シックスマン】
ヴィンス・カーター
1977年1月26日生。198cm・100kg
カレッジ成績:103試合、平均12.3点、4.5リバウンド、1.9アシスト
NBA成績:1541試合、平均16.7点、4.3リバウンド、3.1アシスト
NBAでの通算出場試合数1541はUNC出身者で1位。3ポイント成功数2290本も1位、総得点2万5728もジョーダンに次いで2位のカーターは、たとえシックスマンでもメンバー入りさせるべきだろう。在学中は同級生のジェイミソンの方が、ウッデン賞、ネイスミス賞に輝くなど目立っていた。だが他ならぬジェイミソンとのトレードで、98年にトロント・ラプターズに入団すると立場が逆転。平均18.3点の成績以上に、芸術性と爆発力を兼備したダンクでたちまち人気選手となり、UNCのOBではジョーダン以来となる新人王も受賞した。2000年のスラムダンク・コンテストでは、史上最高とも評される強烈なダンクを次々に決めて優勝、同年のシドニー五輪での「人間超えダンク」も鮮烈な記憶を残した。成績的には3年目の平均27.6点がピークで、ファイナルの舞台も踏めずじまい。その代わりスターの座から降りても細く長い選手生活を続け、リーグ史上初めて4世代(1990~2020年代)でプレーした。
文●出野哲也
【PHOTO】引退後もその影響力は絶大!NBAの頂点に君臨するバスケットボールの”神様”マイケル・ジョーダン特集
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