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NBA

グリフィン、ヤング、ヒールドと現役選手はみな実力者。優勝未経験ながらも強豪校として名を馳せるオクラホマ大の歴史【名門カレッジ史】

出野哲也

2021.01.01

グリフィン(右上)、ヒールド(右下)と現役はみな実力者。なかでもヤング(左)はOB最高の選手となる可能性を秘めている。(C)Getty Images

グリフィン(右上)、ヒールド(右下)と現役はみな実力者。なかでもヤング(左)はOB最高の選手となる可能性を秘めている。(C)Getty Images

 NCAAトーナメント(以下トーナメント)は、言うまでもなくアメリカ大学バスケットボールの最高峰だ。この大会を制することこそすべての大学の目標であり、優勝校の名は永遠にファンの脳裏に刻まれ、強豪の証となる。

 しかし、大会の常連校で、まぎれもない強豪大でありながら、なぜか頂点まで辿り着けない学校もある。トーナメント通算32勝は史上18位にランクされながら、1947年と1988年の準優勝が最高にとどまっているオクラホマ大学もそのひとつだ。

 オクラホマ州の異名であるスーナー(抜け駆けする者)をニックネームに持つバスケットボール部は、1907年に創部。1939年の第1回トーナメントに出場し準決勝まで進むと、1943年は準々決勝、そして前述の通り1947年はホリークロス大と決勝を戦い惜しくも敗れた。その1947年には、卒業後アマチュアチームでプレーしていたグレイディ・ルイス(元セントルイス・ボンバーズほか/現在は消滅)が、OBで最初のNBA選手になっている。
 
 ルイス以降は22年間NBAに進んだ者はなく、1952年のヘルシンキ五輪代表で、前年ドラフト3位でインディアナポリス・オリンピアンズに指名されたマーカス・フライバーガーもプロの道を選ばなかった。

 1957年に得点とリバウンドの両部門でチームトップだったドン・シュウォールは、翌年MLBのボストン・レッドソックスと契約し1961年に新人王を受賞。野球関係者ではライアン・マイナーもいる。1995年のカンファレンス最優秀選手は、翌年フィラデルフィア・セブンティシクサーズから全体33位で指名されるも入団を拒否。MLBのボルティモア・オリオールズに入団、1998年にカル・リプケンが連続試合出場記録に自らピリオドを打った際、代わってグラウンドに立った。弟のデイモンもオクラホマ大野球部で、NPBの東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍したこともある。

 1970年代に入ってからは少しずつ有力選手が現われ始めた。まず1970年のドラフト3巡目40位でガー・ハードがシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)に入団。1974年に平均11.7本を奪ったリバウンダーは、フェニックス・サンズ時代の1976年ファイナル第5戦で、トリプル・オーバータイムにもつれこむ起死回生のシュートを決めて名を残した。
 
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