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“天使と悪魔の顔を持つ男”トーマスと“誰もが認める紳士”デュマース。対照的な2人が牽引したピストンズの盛衰【NBAデュオ列伝|前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.10.10

 売り物のディフェンスだけでなく、オフェンスでもデュマースの成長ぶりは目覚ましかったが、ピストンズの顔は依然としてトーマスだった。それが証明されたのが1988年、前年覇者のロサンゼルス・レイカーズと対戦したNBAファイナルである。

 ピストンズの3勝2敗で迎えた第6戦、トーマスは試合中足首を激しく捻ったにもかかわらず出場し続け、何と43得点を稼ぎ出した。最終的にシリーズを制することはできなかったが、この驚異的なパフォーマンスは、トーマスの凄さを改めて人々の脳裏にしっかり刻み込んだ。

 翌1989年のファイナルはレイカーズとのリターンマッチとなり、今度はピストンズが4勝0敗のスウィープで初の王座に就く。だが、MVPを手にしたのはトーマスではなく、デュマースの方だった。このシリーズのデュマースは、乗りに乗っていた。

「アイザイアに『次のオフェンスはどうする?』と聞かれたから、こう答えたよ。『ただボールをくれればいい』とね」

 その言葉通り、デュマースの放つシュートは面白いようにゴールを射抜いた。第3戦では第3クォーターだけで17連続得点を含む21得点を稼ぎ出し、平均では27.3点。文句なしのMVPだった。

 翌1990年もピストンズはファイナル進出を果たすが、デュマースにとっては喜びと悲しみの交錯するシリーズとなる。ポートランド・トレイルブレイザーズ相手の第3戦、デュマースは糖尿病で病床に伏せている父が危篤状態にあることを聞かされていた。

「もし万一のことがあっても、知らせるのは試合後にしてくれ」

 そう妻にいい聞かせ、彼はコートへと向かった。
 
 試合開始の2時間前、ジョーの父は息を引き取った。ピストンズの選手ではただ1人、トーマスだけがその知らせを受けていた。

「ジョーのシュートが入るたび、彼と目が会うたびに心の中で呟いていたんだ。今のシュートは、親父さんが入れてくれたんだぜ、とね……」

 33得点をあげてチームを勝利に導いたのち、デュマースは父の死を知った。ルイジアナの故郷へ一旦は帰ったデュマースだが、次の試合に間に合うように戻ってきた。

「何があっても仕事をおろそかにしてはならない」

 このプロフェッショナリズムこそ、デュマースが父から教え込まれたものだったからだ。

 デュマースの父の弔い合戦となったファイナルは、4勝1敗でピストンズが連覇を達成。平均27.6点、8.0アシストをマークしたトーマスが、MVPの栄冠を手にした。

「俺について何を言ってもかまわないが、勝利者でないとだけは言えないぞ」

 トーマスはこう言って胸を張った。(後編に続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2004年10月号掲載原稿に加筆・修正。

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