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日本代表

内田篤人が最後の2年半で残したもの。理想と現実のギャップに苦しんだ「背番号2」の笑顔が弾けたのは…

小室功

2020.08.28

鹿島復帰後はACL初優勝に貢献。本人は決勝に出られなかったため、心残りはあったようだ。(C)Getty Images

鹿島復帰後はACL初優勝に貢献。本人は決勝に出られなかったため、心残りはあったようだ。(C)Getty Images

 7年半におよぶドイツでのプレー生活を終え、2018年に古巣の鹿島アントラーズに復帰した。1月10日、新体制会見に臨んだ内田篤人はこう切り出した。

「このチームのために一生懸命に働く覚悟できました」

“プレーする”ではなく、“戦う”でもなく、“働く”。その言葉のチョイスが何とも内田らしいなと、ひとりごちてしまった。

 プロのキャリアをスタートさせ、Jリーグ史上初の3連覇を含む歓喜の瞬間を分かち合った鹿島に戻ってきたからには、単にプレーする、戦うだけでは足りない。目に見える成果を上げてこそ。それはつまりタイトル獲得を意味する。そんなあふれる思いを“働く”という言葉に込めたのではないかと勝手に感じてしまったのだ。

 内田の心にはいつも鹿島があった。
 
 10年の夏、ドイツに向けて出発する際に「いつの日か、鹿島に戻ってこられたらと思う。戻るなら鹿島以外は考えられない。そのときに“いらないよ”っていわれてしまうかもしれないけどね」と苦笑し、こう続けていた。

「鹿島は常に優勝を争うチーム。選手に求められるレベルが高い。簡単に戻れないのもわかっているけれど、また必要だと思ってもらえるようにドイツでしっかり成長したい」

 古巣復帰にあたってクラブが用意した背番号は、かつて内田が背負い、内田がドイツにいっている間、ずっと空けたままにしておいた「2」だ。鹿島は内田の復帰を心待ちにしていた。こうした事実ひとつとっても相思相愛の関係であることに気づかされるだろう。

 鹿島での再スタートはまずまずだった。18年2月14日、ACLグループステージ第1節の上海申花(中国)戦にフル出場。1週間後の水原三星(韓国)との同第2節は欠場したものの、Jリーグ開幕戦となった2月25日の清水戦にスタメン出場し、84分間プレーした。高い戦術眼に基づく要所を締めるパフォーマンスが光った。

 ところが、その後が続かない。古傷の右ヒザの状態は芳しくなく、細かいケガも重なって、チームを離れる時間が増えてしまったのだ。ピッチに立つ機会は限られた。

「90分間、高い強度のなかでプレーし続けて、それを週2回、バンバンこなせる状態に戻らないと自分としてはダメかなと思う」

 描く理想と置かれた現実はあまりにもかけ離れていた。

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