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海外サッカー

ミランの凋落期に“10番”は何を残したのか。伊番記者が語る本田圭祐との4年半「心を開けばもっと愛された」

マルコ・パソット

2022.01.05

日本人史上初のミランの10番となった本田。様々な物議を醸した4年半はミランに携わる人間にとってどんな時間だったのか。(C)Getty Images

日本人史上初のミランの10番となった本田。様々な物議を醸した4年半はミランに携わる人間にとってどんな時間だったのか。(C)Getty Images

 もし本田圭佑が“あの”ミランにではなく、“この”ミランにいたならば、いったい何が起こっていたのだろう?

「もし」に正しい答えなどない。しかしこの仮説には好奇心を掻き立てられる。果たしてステーファノ・ピオーリが率いる現チームで本田はレギュラーの座をもぎ取れたろうか? チャンピオンズ・リーグ(CL)やスクデット争いに加わるチームで主役になれたろうか?

 答えは一人ひとり違うだろう。まず、私の考えを3つのポイントから探っていきたい。

 テクニカル面から見れば、答えはSI(活躍できる)だ。ケイスケは疑い様もなく高いレベルのテクニックを持っていた。それは今のミランでも十分通じるはずである。

 ただ、戦術面から言うと多少の疑いが残る。トレクアルティスタ(トップ下の意)は、本田がミランにいた数年前よりも進化し、スピードが要求されるようになっている。とりわけピオーリはこのポジションに最新の解釈をしており、かつての古典的なトップ下の意味合いは薄れてきている。

 プロ意識という面では、まったくもって問題ない。ズラタン・イブラヒモビッチやシモン・ケアとともに、仕事に向かう態度やプロフェッショナルとしてのアプローチを若いチームメイトたちに叩きこんでくれたに違いない。
 

 本田がミランを去ってから4年半が経つ。しかしミラネッロの変わりようは、まるで40年が経ったかのようだ。彼が所属した最後の年にやってきた中国人オーナーのヨンホン・リーは、たったの1年でチームを「エリオット」に売却。そのアングロ・アメリカンのヘッジファンドの下、ミランは7年ぶりにCLに復帰すると、スクデット争いにも舞い戻り、今は新たなスタジアムも建設予定だ。

 図らずも彼がミランにいたのは、シルビオ・ベルルスコーニ時代の終焉と重なっていた。国内ばかりでなく、ヨーロッパ、いや世界でもあまたのタイトルを手に入れ輝いていた栄光のミランの終わり——その凋落を止めるのはもはや不可能な時期だった。

 また、彼の加入は、ミランの経営がグローバル化を目指した時期とも重なっていた。それまで以上に世界に目を光らせ、ヨーロッパ外でのファンの拡大に情熱を傾けていた。だからこそ、本田がVIPに囲まれサン・シーロのエグゼクティヴルームに姿を現した時、「マーケティング目的のオペレーションであることは明白」と誰もが思った。お披露目の様子は世界中に配信され、オリジナルロゴまでが作成された。

 しかし、実際はそうではない。経済効果への期待は確かにあったが、それは本田獲得の理由の一部にしか過ぎなかった。彼は確かにピッチでの活躍を期待されていたのだ。
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10番は重すぎたが、ミラニスタはわかっていた

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