6月6日に国立競技場で日本代表と対戦するブラジル代表。4日前には韓国代表に5-1の大勝を飾り、改めてサッカー王国の強さを知らしめた。
抜群の攻撃力を誇る「セレソン」の中心は背番号10ネイマールだが、今季はパリ・サンジェルマンで多くの時間を怪我の治療とリハビリに充てることを余儀なくされた。一方、レアル・マドリーでラ・リーガ(得点ランキング3位)やチャンピオンズ・リーグ(決勝戦で決勝ゴール)の優勝に大貢献した21歳のヴィニシウス・ジュニオールが存在感を高めており、ブラジル国内でもこの2人の比較論争が活発になっているという。
彼らのベストポジションが左ウイングということもあり、今冬のカタール・ワールドカップに向けて、30歳のネイマールも安泰ではなく、むしろコンディションなどの要素も含めればヴィニシウスの方が上という声も少なくない。だが、ブラジル総合メディア『globo』は、どちらかに絞るのではなく、2選手の“共闘”の時間を大事にする必要があると主張する。
同メディアが良い例として挙げたのは、1990年代のロマーリオと“怪物”ロナウドだ。94年アメリカW杯で4度目の世界制覇の原動力となった前者は、同大会に17歳で出場した(出番なし)後者と、98年フランス大会の直前まで「RO-ROコンビ」としてセレソンの前線に君臨した。
素晴らしいコンビネーションによる得点力を誇ったユニットは、ロマーリオの怪我による選外によって本大会では見られず、若きロナウドの双肩に全ての責任がかかった結果、決勝戦前には痙攣を起こし、開催国相手の完敗劇の原因ともなった。しかし、偉大な先輩とのプレー経験により、「王位継承」がなされたことで、2度の膝の重傷を乗り越えたロナウドは2002年日韓大会で大会得点王に輝く活躍で、母国に5度目の栄冠をもたらしたのだという。
同メディアによれば、偉大なスターから、若い未来のスターへバトンを受け渡す“儀式”が必要であるということであり、セレソンが初めて戴冠した1958年スウェーデン大会でも、17歳のペレ、24歳のガリンシャの見本となったのは29歳のジジであり、そこからブラジルは1970年メキシコ大会でのジュール・リメ・カップ永久保持まで、4大会で3回優勝という黄金時代を謳歌した。
抜群の攻撃力を誇る「セレソン」の中心は背番号10ネイマールだが、今季はパリ・サンジェルマンで多くの時間を怪我の治療とリハビリに充てることを余儀なくされた。一方、レアル・マドリーでラ・リーガ(得点ランキング3位)やチャンピオンズ・リーグ(決勝戦で決勝ゴール)の優勝に大貢献した21歳のヴィニシウス・ジュニオールが存在感を高めており、ブラジル国内でもこの2人の比較論争が活発になっているという。
彼らのベストポジションが左ウイングということもあり、今冬のカタール・ワールドカップに向けて、30歳のネイマールも安泰ではなく、むしろコンディションなどの要素も含めればヴィニシウスの方が上という声も少なくない。だが、ブラジル総合メディア『globo』は、どちらかに絞るのではなく、2選手の“共闘”の時間を大事にする必要があると主張する。
同メディアが良い例として挙げたのは、1990年代のロマーリオと“怪物”ロナウドだ。94年アメリカW杯で4度目の世界制覇の原動力となった前者は、同大会に17歳で出場した(出番なし)後者と、98年フランス大会の直前まで「RO-ROコンビ」としてセレソンの前線に君臨した。
素晴らしいコンビネーションによる得点力を誇ったユニットは、ロマーリオの怪我による選外によって本大会では見られず、若きロナウドの双肩に全ての責任がかかった結果、決勝戦前には痙攣を起こし、開催国相手の完敗劇の原因ともなった。しかし、偉大な先輩とのプレー経験により、「王位継承」がなされたことで、2度の膝の重傷を乗り越えたロナウドは2002年日韓大会で大会得点王に輝く活躍で、母国に5度目の栄冠をもたらしたのだという。
同メディアによれば、偉大なスターから、若い未来のスターへバトンを受け渡す“儀式”が必要であるということであり、セレソンが初めて戴冠した1958年スウェーデン大会でも、17歳のペレ、24歳のガリンシャの見本となったのは29歳のジジであり、そこからブラジルは1970年メキシコ大会でのジュール・リメ・カップ永久保持まで、4大会で3回優勝という黄金時代を謳歌した。