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日本代表

「26年間の驚異的なキャリア」引退表明の中村俊輔に、世界各地から寄せられる称賛と敬意に満ちた言葉の数々

THE DIGEST編集部

2022.10.20

日本サッカー史にその名を刻んだ中村。その名声は欧州各地に広がっている。(C) Getty Images

日本サッカー史にその名を刻んだ中村。その名声は欧州各地に広がっている。(C) Getty Images

 横浜FCの中村俊輔が10月18日、今季限りでの現役引退を発表した。1997年のプロ入りから26年目のシーズン、44歳でユニホームを脱ぐことになった。

 中学時代には日産(現横浜F・マリノス)ジュニアユースに入団するも、ユースに昇格できないという挫折を味わった後、桐光学園で力をつけて3年次に選手権準優勝。今度は請われてマリノスに入団した左足のテクニシャンは、Jリーグでも華麗なボール捌きでチャンスやゴールを量産、また十八番のFKにも磨きをかけて、必殺の武器へと昇華させた。
 
 2022年に海外挑戦を開始し、セリエAのレッジーナではチームで最も技術力のある中心選手として、本場でも通用することを証明すると、2005年にゴードン・ストラカン監督の強い求めに応じてセルティックに移籍、フィジカルの強さが求められるスコットランドでリーグ屈指のファンタジスタとしてリーグ連覇に貢献、数々の個人タイトルを獲得した他、2006-07シーズンのチャンピオンズ・リーグ(CL)、マンチェスター・ユナイテッド戦でのFKなど、クラブ史にも残るような印象的な場面を生み出している。

 2009年に加入したエスパニョールでは、スペイン・サッカーに馴染めず、2シーズン目の途中で帰国を決意し、復帰した横浜FMでは2013年に35歳でリーグMVPに輝いて健在ぶりをアピール。以降、2017年にジュビロ磐田、その2年後から横浜FCでプレーし、今季で4シーズン目を迎えていた。

 日本代表としても、U-20時代では1997年にワールドユース(現U-20ワールドカップ)、U-23で2000年シドニー・オリンピック、A代表では2006年ドイツ、2010年南アフリカの2度のワールドカップといった世界の大舞台にも立ち、アジアカップには3度の出場で2度の優勝(2000年、2004年)に貢献。出場数では歴代9位タイとなる98試合、得点数は10位の24点という記録を残している。

 サッカーに対して真摯に取り組み続け、構築した独自の理論の下で全てのプレーに意味を持たせた“求道者”の引退発表に、世界中のメディアも反応。彼が最も輝きを放ったスコットランドでは、日刊紙『THE SCOTSMAN』は、以下のように「セルティックのスター」(同メディア)の在籍時代を回想した。

「250万ポンド(4億円強)で加入し、4シーズンの間にリーグ3回、スコティッシュ・カップ1回、リーグカップ2回の獲得に貢献した他、CLマンU戦での有名なFK、キルマーノック戦でのタイトル決定弾、宿敵レンジャーズとの一戦での素晴らしいゴールなど、数々の記憶に残る瞬間を生み出した」
 
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