海外サッカー

セルビアを24年ぶりのEUROに導いた監督“ピクシー”。W杯敗退後の苦悩の日々も吐露「厳しい批判受け、立ち直るのは簡単ではなかった」

THE DIGEST編集部

2023.11.21

母国セルビアをEURO本大会に導いたピクシー。喜びとともに、カタールW杯敗退後の苦悩も語った。(C) Getty Images

 現地時間11月19日に行なわれたEURO2024予選で、セルビア代表はブルガリア代表と2-2で引き分け、勝点を14に積み上げてグループGでの2位が確定、24年ぶりの本大会出場を決めた。

【PHOTO】フリット、ジダン、イニエスタ…厳選写真で振り返る過去30年の「超ワールドクラス図鑑」攻撃的MF編
 セルビア南部の都市レスコヴァツに新設されたグラドスキ・スタディオン・ドゥボチツァで開催された予選最終戦、8000人ほどの観客の前でセルビアは17分にCKからネマニャ・グデリのシュートがクロスバーにはね返されたところをミロシュ・ヴェリコビッチが頭で詰めて先制。59分、69分と立て続けに失点したものの、82分に再びCKからスルジャン・バビッチのヘッド弾が炸裂し、間もなくして歓喜の瞬間を迎えることとなった。

 セルビアを率いたドラガン・ストイコビッチ監督は、直前の練習を行なった故郷ニシュからも近いレスコヴァツで決めたEURO出場に興奮を隠さず、「国民の全員に、EURO出場おめでとうと言いたい。24年待たなければならなかったが、それは価値のあるものだ。(ドゥシャン・)ヴラホビッチ(2000年1月28日生まれ)は当時まだ生まれていなかったか、あるいはまだ赤ん坊だったか……とにかく大きな成功であり、セルビア・サッカーの日だ」と語り、以下のように続けた(現地メディア『sportal.rs』より)。

「我々はプロジェクトを成功させた。我らが選手たちは英雄であり、歴史を刻んだ黄金の世代だ。セルビアは初めて、単独の国としてEUROに出場する。大きな満足感があり、喜びだ。最後まで成功できると信じていた。我々のトリコロール(国旗)が来夏、開催国ドイツではためくことだろう!」

 ユーゴスラビア、セルビア・モンテネグロを経て、2006年にセルビア代表としての歩みを始めてから、13人目(暫定含む)の代表監督となったストイコビッチは、同国で初めてワールドカップとEUROの両方に母国を導いた監督となった(ユーゴスラビア全体の歴史においては、故イビチャ・オシム監督が1990年W杯とEURO1992で予選を勝ち抜いたものの、後者は内戦への制裁により出場資格そのものが取り消しとなった)。
 
NEXT
PAGE
「私としてはもう監督である必要はない」と去就についても発言