ドイツのブンデスリーガクラブであるボルシアMGは、トップチームで日本代表DF板倉滉が、そしてセカンドチームのU-23ではU-22日本代表FW福田師王がプレーすることで日本では知られているかもしれない。
ドイツのブンデスリーガで優勝5度、カップ優勝3度を誇る古豪クラブで、特に1960-70年代にかけては稀代の名将ヘネス・バイスバイラー監督や西ドイツ代表ギュンター・ネッツァー、ユップ・ハインケス、ベルティ・フォクツらを擁し、欧州でも強豪クラブの一つとして称賛されていた。77年にはチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)で決勝進出も果たしている。
そんな伝統あふれるクラブのメディカルスタッフとして働いている日本人がいる。菊地紘平、29歳。法政大学スポーツ健康学部でアスレティックトレーナーの資格を所得していた菊地は卒業後すぐの2017年にドイツへ渡った。
日本で働く可能性もありながら、なぜ大学卒業後すぐに渡独を決意したのだろう? そしてどんな道を歩んでボルシアMGへとたどり着いたのだろう?
「アスレティックトレーナーってアメリカが人気なんですよね。ただアメリカだとお金がちょっと高い。そんな時アスレティックトレーナーでヨーロッパに出てる人は当時ほとんどいないなと思ったのがひとつのきっかけです。経験を積むためにヨーロッパに出てみようかなって。あと僕自身サッカーをやっていたので、ブンデスリーガのチームで働けたらいいなっていうのが目標だし、モチベーションになりました」
ドイツに渡った菊地は「ドイツではアスレティックトレーナーの資格がないため」、フライブルクで理学療法士の専門学校に通い、3年間で卒業。日本の大学時代に習ったことと内容的に大きな違いはなかったが、復習しながら同時に自分の専門をドイツ語で学べるという機会は貴重だった。2年目からは女子バスケットボールのブンデスリーガ1部所属アイスフォーゲル・フライブルクのU16-U18チームに週3で帯同。そこから州選抜チームからも声がかかるようになる。アイスホッケーのドイツ2部リーグに所属するEHCフライブルクヴォルフェでさらに経験を積んだ菊地は、専門学校卒業後にフライブルクにある診療所への就職を決めた。
アットホームな雰囲気がある職場を気に入っていたが、1年半ほどたった時に新しい挑戦をしたくなった。そんなある日、いろんな情報をチェックしているとボルシアMGが理学療法士を募集しているという要項を発見することになる。様々な縁とタイミング、そして積み重ねてきたものが道を開いた。
「専門学校をドイツ語でやったっていうのはでかいと思います。語学は若いうちからやっていた方がいい。そうやって寄り道をしたからこそ得たものもありますし、ドイツ人から好まれる、コミュニケーションと信頼性を築けるようになったのは大きいと思います」
コミュニケーションが円滑に行くと、仕事がしやすくなるのは万国共通。コミュニケーションの取り方がうまくないとどれだけスキルがあっても伝えたいことは伝わらない。その国における距離感や言葉の表現、ボディランゲージなどを知ることはとても大切なのだ。
ドイツのブンデスリーガで優勝5度、カップ優勝3度を誇る古豪クラブで、特に1960-70年代にかけては稀代の名将ヘネス・バイスバイラー監督や西ドイツ代表ギュンター・ネッツァー、ユップ・ハインケス、ベルティ・フォクツらを擁し、欧州でも強豪クラブの一つとして称賛されていた。77年にはチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)で決勝進出も果たしている。
そんな伝統あふれるクラブのメディカルスタッフとして働いている日本人がいる。菊地紘平、29歳。法政大学スポーツ健康学部でアスレティックトレーナーの資格を所得していた菊地は卒業後すぐの2017年にドイツへ渡った。
日本で働く可能性もありながら、なぜ大学卒業後すぐに渡独を決意したのだろう? そしてどんな道を歩んでボルシアMGへとたどり着いたのだろう?
「アスレティックトレーナーってアメリカが人気なんですよね。ただアメリカだとお金がちょっと高い。そんな時アスレティックトレーナーでヨーロッパに出てる人は当時ほとんどいないなと思ったのがひとつのきっかけです。経験を積むためにヨーロッパに出てみようかなって。あと僕自身サッカーをやっていたので、ブンデスリーガのチームで働けたらいいなっていうのが目標だし、モチベーションになりました」
ドイツに渡った菊地は「ドイツではアスレティックトレーナーの資格がないため」、フライブルクで理学療法士の専門学校に通い、3年間で卒業。日本の大学時代に習ったことと内容的に大きな違いはなかったが、復習しながら同時に自分の専門をドイツ語で学べるという機会は貴重だった。2年目からは女子バスケットボールのブンデスリーガ1部所属アイスフォーゲル・フライブルクのU16-U18チームに週3で帯同。そこから州選抜チームからも声がかかるようになる。アイスホッケーのドイツ2部リーグに所属するEHCフライブルクヴォルフェでさらに経験を積んだ菊地は、専門学校卒業後にフライブルクにある診療所への就職を決めた。
アットホームな雰囲気がある職場を気に入っていたが、1年半ほどたった時に新しい挑戦をしたくなった。そんなある日、いろんな情報をチェックしているとボルシアMGが理学療法士を募集しているという要項を発見することになる。様々な縁とタイミング、そして積み重ねてきたものが道を開いた。
「専門学校をドイツ語でやったっていうのはでかいと思います。語学は若いうちからやっていた方がいい。そうやって寄り道をしたからこそ得たものもありますし、ドイツ人から好まれる、コミュニケーションと信頼性を築けるようになったのは大きいと思います」
コミュニケーションが円滑に行くと、仕事がしやすくなるのは万国共通。コミュニケーションの取り方がうまくないとどれだけスキルがあっても伝えたいことは伝わらない。その国における距離感や言葉の表現、ボディランゲージなどを知ることはとても大切なのだ。
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