シャウド会長は、「繊細な問題だった。多くの人々がこの件を政治的な側面に結び付けてしまった。私はブラジル国旗の色という観点で考えた。黄、緑、青、白は我々の国旗の色であり、それを守るべきだと。私は赤に反対したが、政治的な理由ではない。個人的に、赤は好きになれなかった。すでに生産は始まっていたが、私はナイキに止めるよう依頼した」と語っている。
会長の要請を受け入れたナイキは、新たに青モデルの製作を決定。これが来夏のW杯でセカンドユニホームとして使われる。会長は、「ナイキは我々の事情を理解してくれるとともに、すぐに新しいユニホームの生産を開始した。これについて言えるのは、非常に美しいデザインだということだ」と太鼓判を押す。
そして会長は、黄色のユニホームについても、「政治的な議論はピッチに持ち込んではならないし、代表チームに干渉してはならない。この政治的な問題、赤ユニホームの議論が起こる前は、誰もが黄色を着ていた。我々は政治ではなく、サッカーを通じてサポーターを取り戻さなければならない」と主張している。
さてセレソンのユニホームといえば、自国開催となった1950年W杯のマラカナンの悲劇を忘れるために、それまでの白から、現在の黄色に変更されたのは有名な話である。2023年6月のギニア戦(親善試合)で人種差別撲滅を訴えるために、史上初めて上下ブラックのユニホームを着用したが、長く代表チームのカラーは定着している。
そのうえで『Globo』は、自国代表チームが過去に、黄色や青以外のカラーを採用したケースがあったと紹介。1916年の第1回コパ・アメリカでは「緑と黄色のストライプ」を着用し、翌年の第2回大会ではウルグアイ戦とチリ戦では、同色だったため抽選で「赤」を着用した。
1937年大会では、ペルー戦で白ユニホームの優先権を奪われたため、開催国アルゼンチンのクラブ、インデペンディエンテのユニホームを借用。同様のケースでは、同大会のチリ戦でボカ・ジュニオルスのユニホームを使用し、それ以前の1919年には、ウルグアイ戦(親善試合)で逝去した相手GKへの追悼の意味で、同選手が所属していたペニャロールのユニホームを身に纏った。
なお、セカンドの青については、初の世界制覇を果たした1958年W杯決勝で、開催国でもあったスウェーデンに黄色の優先権を譲り、カラーを変更したのが最初だと言われているが、それは事実と異なる。その20年前のフランス大会で、ブラジルはすでにポーランド(白)との被りを避けるため、急遽、水色に近い青を使用していた。当時はあまりにも急な変更で、連盟のロゴを縫い付ける時間もなかったという。
構成●THE DIGEST編集部
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そして会長は、黄色のユニホームについても、「政治的な議論はピッチに持ち込んではならないし、代表チームに干渉してはならない。この政治的な問題、赤ユニホームの議論が起こる前は、誰もが黄色を着ていた。我々は政治ではなく、サッカーを通じてサポーターを取り戻さなければならない」と主張している。
さてセレソンのユニホームといえば、自国開催となった1950年W杯のマラカナンの悲劇を忘れるために、それまでの白から、現在の黄色に変更されたのは有名な話である。2023年6月のギニア戦(親善試合)で人種差別撲滅を訴えるために、史上初めて上下ブラックのユニホームを着用したが、長く代表チームのカラーは定着している。
そのうえで『Globo』は、自国代表チームが過去に、黄色や青以外のカラーを採用したケースがあったと紹介。1916年の第1回コパ・アメリカでは「緑と黄色のストライプ」を着用し、翌年の第2回大会ではウルグアイ戦とチリ戦では、同色だったため抽選で「赤」を着用した。
1937年大会では、ペルー戦で白ユニホームの優先権を奪われたため、開催国アルゼンチンのクラブ、インデペンディエンテのユニホームを借用。同様のケースでは、同大会のチリ戦でボカ・ジュニオルスのユニホームを使用し、それ以前の1919年には、ウルグアイ戦(親善試合)で逝去した相手GKへの追悼の意味で、同選手が所属していたペニャロールのユニホームを身に纏った。
なお、セカンドの青については、初の世界制覇を果たした1958年W杯決勝で、開催国でもあったスウェーデンに黄色の優先権を譲り、カラーを変更したのが最初だと言われているが、それは事実と異なる。その20年前のフランス大会で、ブラジルはすでにポーランド(白)との被りを避けるため、急遽、水色に近い青を使用していた。当時はあまりにも急な変更で、連盟のロゴを縫い付ける時間もなかったという。
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