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日本代表

忘れられぬ27年前の“開幕戦ハットトリック“。ジーコの「祝砲」が日本サッカーにもたらした恩恵

小室功

2020.05.15

 ジーコの名がJリーグの歴史に刻まれた瞬間でもある。J1では過去235回のハットトリックが記録されているのだが、二番目や三番目ではなく、その一番手。こうした付加価値は何ものにも代えがたい。

 だが、ジーコはどこまでもジーコだった。

「自分のハットトリックよりチームの勝利のほうが重要。いいスタートを切ることができた」と、常に“チームのために”を強調するジーコらしいコメントを残している。

 以前、このような話をしていたのを思い出す。

「自分がハットトリックを決めて一度だけ試合に勝ち、ほかの2試合に負けてしまうくらいなら、1点ずつでいいからチームのためにゴールし、3試合すべてに勝ちたい」

 世界に名の知れたジーコのハットトリックは話題性が抜群だ。テレビや新聞、雑誌など、さまざまなメディアによって大々的に取り上げられた。海外からの目をJリーグに引き付けるきっかけにもなった。
 
 試合当日のカシマスタジアムには外国人記者が多く、英国のサッカー専門誌である『ワールドサッカー』の編集長も取材に訪れていたと聞く。というもの、1986年のメキシコワールドカップ得点王のリネカー(元イングランド代表)が名古屋に在籍していたからだ。

 ジーコの前に、すっかり引き立て役に回されてしまったものの、実は最初にゴールネットを揺らしたのはリネカーだった。オフサイドの判定によって取り消されたのだが、当時すでにVARが導入されていたら、得点が認められていたかもしれない。そのくらいきわどいシーンではあった。

 とはいえ、勝利に貪欲な鹿島の勢いを最終的に制御できなかったであろうが。

 カリスマ性あるジーコに率いられた鹿島は結果を出し続けることで、その知名度を瞬く間に高めていく。Jリーグ開幕から四半世紀が過ぎ、最多20冠を誇る強豪として君臨しているわけだが、クラブの礎を築いたジーコを抜きに鹿島の歴史と伝統は語れない。

 今、改めて思う。

 強烈なインパクトを残し、珠玉の伝説となったジーコのハットトリックは、日本サッカー界にとって新時代の到来を告げるにふさわしい祝砲でもあったのだ、と。

文●小室功(オフィスプリマベーラ)
 
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