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Jリーグ・国内

鹿島の再建を託された相馬直樹という男。「常勝」のマインドを受け継ぐ智将の根源を探る

小室功

2021.05.15

「サッカー王国の静岡を制するものは全国を制す」と言われ、県内の高い競争力は全国レベル。厳しい環境のなかで、研鑽を積んだ。当時をこう回想する。

「僕らの高校時代は4-3-3システムで戦うチームがほとんどだったので、左SBなら相手の右ウイング、右SBなら相手チームの左ウイングというように、マークすべき選手がハッキリしていました。サイドでの1対1で、どれだけ優位に立てるか。そこがポイントのひとつでもあったわけです」

 インターハイ予選で難敵の清水商とぶつかったとき、守備力を買われていた高校1年生の相馬は左SBで起用された。

「“キヨショウ”の右ウイングは、僕のひとつ上の(三浦)文丈さんでした。世代別の代表チームで活躍していたと思いますけど、そこを何とか抑えたいというプランからその役割が自分に与えられました。結構、うまく対応できたこともあって、その後も“キヨショウ”と当たるたびに、監督から左SBをやってくれ、と。ディフェンシブハーフでプレーさせてもらう試合もありましたけど、気づけば(左SBに)定着していましたね(笑)」
 
 清水東を卒業後、早稲田大に進み、さらに1994年から鹿島に活躍の舞台を移し、プロ選手としてのキャリアを積んでいく。在籍中に大怪我を負い、長期離脱を余儀なくなされるなど、苦しいシーズンもあったが、トータル8回の優勝を経験。サイドアタックを基調とする鹿島の攻撃スタイルを左から支えた。

 日本サッカー界にとって初のワールドカップとなった1998年のフランス大会の代表メンバーに選ばれ、グループリーグ全3試合にスタメン出場。記念すべき日本の初ゴールは左アウトサイドの相馬のインスイングクロスから生まれている。

 長年、左SBとしてプレーしてきた自身の立ち位置は監督である今、タッチラインの外になった。現役時代と見える風景にずいぶん違いがあるだろうが、さまざまな“気づき”を選手たちに伝えていることだろう。

 相馬新監督に率いられた鹿島が開幕からの出遅れたぶんを取り戻し、どこまで巻き返していけるか。今季の大きな関心事になっている。

文●小室功(オフィス・プリマベーラ)

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