広島が古豪なら、常に埼玉としのぎを削って来たのが静岡勢だった。サッカーどころに染め上げる発信源は藤枝東で、24年に県立志太中学として開校した時点でサッカーを校技として採用。その7年後には全国中等学校選手権で優勝すると、藤枝東としても選手権4度、インターハイ、国体ともに2度と計8冠を積み上げた。特に長池実監督が率いた66年度には、史上初の3冠(インターハイ、国体、選手権)を達成。さらにサッカー熱は清水、静岡などへと広がり、70~90年代にはまさに「日本のブラジル」の様相を呈していく。野球の国で静岡だけは子どもたちの第一選択肢がサッカーで「全国で勝つより静岡予選を突破するほうが難しい」に誇張はなかった。実際静岡勢は72年からは5年連続して選手権準優勝、80年代は7度の決勝進出で4度優勝(清水商2度、清水東、東海大一)、90年代にも清水商と静岡学園が頂点に立っている。なお静岡勢は国体が18歳以下の選抜方式で競った時期(1970~2005年)にも19回も優勝(2位千葉が6回)しているから、その突出ぶりがわかる。
ところが21世紀に入ると、高体連の勢力分布は一気に拡散し戦国模様に変わった。それはサッカーを取り巻く環境が激変した結果で、必然の好転反応とも言える。Jリーグが創設されても、当初はまだ選手側に戸惑いがあった。Jクラブのアカデミーへ進むのがプロへの近道だとしても、選手権人気も捨て難かった。だがU-20代表も09年エジプト大会からは、クラブユース出身者が優勢になり、やがて世代別代表はほぼJクラブが独占していく。フル代表が海外組一色になりつつある現状を思えば、サッカー小僧たちが逆算して描く十代の未来図も、選手権から欧州進出へと拡大傾向にある。
一方でプロが出来て普及が進むと地域格差が消えた。都道府県別のJリーガー輩出数を見ても、静岡県が4位、埼玉県が5位だから選手は育っている。しかしいくら王国の名門高校でも、県内にJクラブが複数出来て私立の新興勢力が台頭すれば、選手の確保は難しくなる。補強面で私立の優位は動かず、同県内にJクラブやライバルが不在の青森山田や星稜、あるいは近隣のJアカデミーが発展途上の前橋育英、富山一、山梨学院、尚志などが経験値を高め強化が進むのは自然な流れだった。逆にプロ輩出数で東京、神奈川、大阪がトップ3を占めたのを見ても、Jアカデミーは信頼を高めている。もはや選手権で都道府県の実力は測れないということだ。
ところが21世紀に入ると、高体連の勢力分布は一気に拡散し戦国模様に変わった。それはサッカーを取り巻く環境が激変した結果で、必然の好転反応とも言える。Jリーグが創設されても、当初はまだ選手側に戸惑いがあった。Jクラブのアカデミーへ進むのがプロへの近道だとしても、選手権人気も捨て難かった。だがU-20代表も09年エジプト大会からは、クラブユース出身者が優勢になり、やがて世代別代表はほぼJクラブが独占していく。フル代表が海外組一色になりつつある現状を思えば、サッカー小僧たちが逆算して描く十代の未来図も、選手権から欧州進出へと拡大傾向にある。
一方でプロが出来て普及が進むと地域格差が消えた。都道府県別のJリーガー輩出数を見ても、静岡県が4位、埼玉県が5位だから選手は育っている。しかしいくら王国の名門高校でも、県内にJクラブが複数出来て私立の新興勢力が台頭すれば、選手の確保は難しくなる。補強面で私立の優位は動かず、同県内にJクラブやライバルが不在の青森山田や星稜、あるいは近隣のJアカデミーが発展途上の前橋育英、富山一、山梨学院、尚志などが経験値を高め強化が進むのは自然な流れだった。逆にプロ輩出数で東京、神奈川、大阪がトップ3を占めたのを見ても、Jアカデミーは信頼を高めている。もはや選手権で都道府県の実力は測れないということだ。