習慣にない行動を前にどうしていいかわからず、戸惑う経験はだれにでもあるだろう。状況を正しく認知して、やるべきことをイメージしながらのプレーを習慣化するためには、時間と反復が必要になる。でもやり続けた先には確かな成長があったという。
例えば、複数色のビブスを使って「青から赤、赤から青にしかパスを出せない」というルールで4対1をやるとする。単純に外からプレーしている人数だけを見ると4対1にすぎない。がしかし、それぞれでボールに関われる選手で考えると、これは3対1の連続になる。
羽生はオシムの代名詞と言えるトレーニングの意味を次のように振り返ってくれた。
「同色の人はその時々で直接ボールをもらえないというシチュエーションを素早く捉えて、『いま青が持っていて、次のボールが赤のこっちにわたった瞬間に、自分はこういう関り方をして』というふうに、どんどんどんどんと先、そのまた先を読まないといけないというのがトレーニング中に込められていました。そういうトレーニングを積み重ねることで、僕らの頭の回転をめちゃくちゃ上げてくれたというのはありました。フリーズとか、指導いらずの練習を作るみたいな意味でも、そういうことだったのかなって思ったりします」
状況を好転させるために誰かが動いたら、それに連動して動くというパターンを、全選手が頭と身体で理解して、すぐに対応する。これを繰り返し続けたジェフはコレクティブなチームプレーがかみ合うようになっていった。あの時代、オシムが選手たちに課したトレーニングには、コレクティブな動きを生み出すためのヒントが山のように込められていた。
「僕は小柄な選手だし、どんな時でもすごい考えないとプレーできない。『こうなったら、こういう身体の向きで、次はもうここにポジションを取って』というのを、ずっとやり続けていましたね。その感覚が試合でどんどん出てくる。こういうオシムさんがやってくれたような練習って、子どもたちがやってみたらすごく面白いんじゃないかって思います」
「もっと考えろ!」と選手に声をかけたところで、そこからは何も生まれない。わざと考えないようにしようとか、わざとミスをしようと思いながらプレーしている選手なんていないからだ。考えることを習慣化するトレーニングや取り組みもないまま、誰が、いつ、どこで、何を、どのように考えればいいかの整理もせずに、そうした言葉を口にするのは指導者の甘えである。
ルール設定やオーガナイズが丁寧に準備されていれば、そのトレーニングへの参加自体が選手を考えさせるきっかけとなる。そして選手た上手くこなせていれば、それは頭の回転がちゃんと追いついているという証明と言える。
「そこが生命線だったんだな」と感慨深げに振り返っていた羽生が筆者には印象的だ。そうした体験を子どものころから積み重ねて、サッカーの奥深さにふれて、どんどんのめりこんでいけたら、それは指導者にとっても本当に素敵な経験ではないだろうか。
取材・文●中野吉之伴
例えば、複数色のビブスを使って「青から赤、赤から青にしかパスを出せない」というルールで4対1をやるとする。単純に外からプレーしている人数だけを見ると4対1にすぎない。がしかし、それぞれでボールに関われる選手で考えると、これは3対1の連続になる。
羽生はオシムの代名詞と言えるトレーニングの意味を次のように振り返ってくれた。
「同色の人はその時々で直接ボールをもらえないというシチュエーションを素早く捉えて、『いま青が持っていて、次のボールが赤のこっちにわたった瞬間に、自分はこういう関り方をして』というふうに、どんどんどんどんと先、そのまた先を読まないといけないというのがトレーニング中に込められていました。そういうトレーニングを積み重ねることで、僕らの頭の回転をめちゃくちゃ上げてくれたというのはありました。フリーズとか、指導いらずの練習を作るみたいな意味でも、そういうことだったのかなって思ったりします」
状況を好転させるために誰かが動いたら、それに連動して動くというパターンを、全選手が頭と身体で理解して、すぐに対応する。これを繰り返し続けたジェフはコレクティブなチームプレーがかみ合うようになっていった。あの時代、オシムが選手たちに課したトレーニングには、コレクティブな動きを生み出すためのヒントが山のように込められていた。
「僕は小柄な選手だし、どんな時でもすごい考えないとプレーできない。『こうなったら、こういう身体の向きで、次はもうここにポジションを取って』というのを、ずっとやり続けていましたね。その感覚が試合でどんどん出てくる。こういうオシムさんがやってくれたような練習って、子どもたちがやってみたらすごく面白いんじゃないかって思います」
「もっと考えろ!」と選手に声をかけたところで、そこからは何も生まれない。わざと考えないようにしようとか、わざとミスをしようと思いながらプレーしている選手なんていないからだ。考えることを習慣化するトレーニングや取り組みもないまま、誰が、いつ、どこで、何を、どのように考えればいいかの整理もせずに、そうした言葉を口にするのは指導者の甘えである。
ルール設定やオーガナイズが丁寧に準備されていれば、そのトレーニングへの参加自体が選手を考えさせるきっかけとなる。そして選手た上手くこなせていれば、それは頭の回転がちゃんと追いついているという証明と言える。
「そこが生命線だったんだな」と感慨深げに振り返っていた羽生が筆者には印象的だ。そうした体験を子どものころから積み重ねて、サッカーの奥深さにふれて、どんどんのめりこんでいけたら、それは指導者にとっても本当に素敵な経験ではないだろうか。
取材・文●中野吉之伴