2013年の教皇就任直後に、それを報告するためクラブに送った書簡では、会員番号「88235」を引き続き更新する意向を伝えただけでなく、少年時代のアイドルだったストライカー、レネ・ポントーニが1946年のクラシコ(対ラシン)で決めた伝説的なゴールに言及している。愛するクラブにまつわる幼少期の思い出を大事に胸に秘め、事あるごとに自慢するように話題にして語り継ごうとするところは、誰にとっても思い当たる節のある、生粋のサポーターならではの振る舞いである。
翌14年にサン・ロレンソがコパ・リベルタドーレスで優勝し、南米王者の座に就いたことも、アルゼンチンでは「あまりにも象徴的な偶然」と受け止められた。大会後、クラブ首脳とチームがローマに赴いて優勝を報告し、トロフィーに祝福を与えてもらおうとした際、教皇は謁見の冒頭でこう述べている。「アメリカの王者に輝いたサン・ロレンソのチーム、私の文化的アイデンティティーの一部であるチームに、特別な挨拶を送ります」。
同じ年、ローマで開催されたエキシビションマッチ「平和のための試合(Partita per la Pace)」に寄せたビデオメッセージでは、「この試合はチームとしての結束、そしてそれがもたらす平和こそが強調されるべき場です。チームとして結束することで、それぞれがより人間として成熟し、成長し、より大きな存在となる。チームとしてプレーすることで競争は、戦争ではなく平和の種となるのです」と述べている。
このようにサッカーというスポーツを、対立ではなく統合、闘争ではなく融和、戦争ではなく平和の象徴として位置付け、それを実現するための手段として語るところ、人生や世界をサッカーという枠組みのなかで解釈し語ろうとするところに、教皇である以前にホルヘ・マリオ・ベルゴリオというひとりの人間としての「文化的アイデンティティー」、サッカー愛が表われていた。
それが最も凝縮されていたのが、21年に伊紙『Gazzetta dello Sport』のインタビューで語った次の言葉だろう。最後にその全文を訳出して、教皇に対する追悼に代えたい。
「勝利と敗北は、互いに反対の意味を持つように見えます。誰もが勝つのが好きで、負けるのは嫌いです。しかし、勝利が言葉に言い表せないような震えをもたらすのと同時に、敗北もまたとても素晴らしい何かを持っています。
勝つことに慣れれば慣れるほど、自分が無敵であるかのように感じてしまう誘惑が強くなります。勝利は時に傲慢さを生み、自分は到達したと思い込ませる。しかし敗北は思索を促します。なぜ負けたのかを自問し、良心に基づく省察を深め、自分の行いを振り返る。だからこそ、いくつかの敗北から、実に美しい勝利が生み出されるのです。なぜなら、過ちを知ることによって、雪辱への渇望に火がつくからです。
私が言いたいのは、勝者は自分が何を失っているのかを知らないということです。これは単なる言葉遊びではない。貧しい人々に尋ねてみなさい」
文●片野道郎
構成●THE DIGEST編集部
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翌14年にサン・ロレンソがコパ・リベルタドーレスで優勝し、南米王者の座に就いたことも、アルゼンチンでは「あまりにも象徴的な偶然」と受け止められた。大会後、クラブ首脳とチームがローマに赴いて優勝を報告し、トロフィーに祝福を与えてもらおうとした際、教皇は謁見の冒頭でこう述べている。「アメリカの王者に輝いたサン・ロレンソのチーム、私の文化的アイデンティティーの一部であるチームに、特別な挨拶を送ります」。
同じ年、ローマで開催されたエキシビションマッチ「平和のための試合(Partita per la Pace)」に寄せたビデオメッセージでは、「この試合はチームとしての結束、そしてそれがもたらす平和こそが強調されるべき場です。チームとして結束することで、それぞれがより人間として成熟し、成長し、より大きな存在となる。チームとしてプレーすることで競争は、戦争ではなく平和の種となるのです」と述べている。
このようにサッカーというスポーツを、対立ではなく統合、闘争ではなく融和、戦争ではなく平和の象徴として位置付け、それを実現するための手段として語るところ、人生や世界をサッカーという枠組みのなかで解釈し語ろうとするところに、教皇である以前にホルヘ・マリオ・ベルゴリオというひとりの人間としての「文化的アイデンティティー」、サッカー愛が表われていた。
それが最も凝縮されていたのが、21年に伊紙『Gazzetta dello Sport』のインタビューで語った次の言葉だろう。最後にその全文を訳出して、教皇に対する追悼に代えたい。
「勝利と敗北は、互いに反対の意味を持つように見えます。誰もが勝つのが好きで、負けるのは嫌いです。しかし、勝利が言葉に言い表せないような震えをもたらすのと同時に、敗北もまたとても素晴らしい何かを持っています。
勝つことに慣れれば慣れるほど、自分が無敵であるかのように感じてしまう誘惑が強くなります。勝利は時に傲慢さを生み、自分は到達したと思い込ませる。しかし敗北は思索を促します。なぜ負けたのかを自問し、良心に基づく省察を深め、自分の行いを振り返る。だからこそ、いくつかの敗北から、実に美しい勝利が生み出されるのです。なぜなら、過ちを知ることによって、雪辱への渇望に火がつくからです。
私が言いたいのは、勝者は自分が何を失っているのかを知らないということです。これは単なる言葉遊びではない。貧しい人々に尋ねてみなさい」
文●片野道郎
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