男子テニスの元世界ランキング23位、ダミール・ジュムホール(ボスニア・ヘルツェゴビナ/現世界56位/33歳)がATP公式サイトのエッセイシリーズ「My Point」で、自身の壮絶な闘病と復活の道のりを明かした。
旧ユーゴスラビア・サラエボ出身のジュムホールは、2011年にプロ転向すると14年の「全豪オープン」で四大大会本戦初勝利を挙げた。17年9月には「サンクトペテルブルク・オープン」でATPツアー初優勝を果たし、10月にも「クレムリン・カップ」を制覇。18年6月には「アンタルヤ・オープン」でツアー3勝目を挙げ、自己最高の世界23位に到達した。俊敏なフットワークと粘り強いストロークを武器に、長く同国男子テニスの第一人者として活躍している。
エッセイによると、大きな困難が彼を襲ったのは22年の「全仏オープン」だった。予選初戦でフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)に敗れた直後、彼は激しい腹痛に襲われ、病院で急性膵炎と診断された。即座に集中治療室へ運ばれ、6日間を過ごすことになる。「若く健康でなければ助からなかったかもしれない」と振り返るほど、命に関わる状態だった。
食生活や飲酒の乱れもなく、原因は特定されなかった。家族と離れたパリの病院での入院生活は1カ月に及び、特に生後間もない息子ルカと会えない時間はつらかったという。「人生で必要なのは、ただ家に帰ることだと感じた」。医師の反対を押し切り、家族の近くで治療を受けるためベオグラードへの転院を希望。そこでさらに2週間半の入院を経て、息子との再会を果たす。「ルカが生まれた瞬間が一番幸せな出来事なら、その次はあの病院で彼と会った瞬間だ」と振り返っている。
退院時、ジュムホールの体重は55キロまで落ち、テニス復帰は考えられなかった。「生きていることだけで幸せだった」。しかし、回復とともに再びラケットを握る意欲が湧き上がる。22年夏、ランキングは243位まで後退していたがコートへ戻った。
18年に到達した世界23位からは遠く、トップ100復帰すら不可能に思えたが、昨年には再び100位以内に返り咲き、現在はトップ50も射程圏内。「テニスは変わった。今は38歳、39歳でも一線で戦える選手がいる。自分もまだ老け込む年齢じゃない」と、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)やガエル・モンフィス(フランス)らの活躍を励みにキャリアを続行する。
あれから3年。今季の「全仏オープン」3回戦では、後に優勝するカルロス・アルカラス(スペイン)と対戦し、1セットを奪取した。「フィリップ・シャトリエの雰囲気は人生でも特別な経験の一つだった」と振り返る。これまでパリではアレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)戦でマッチポイントを逃し、翌年には肩を骨折、そして膵炎に倒れるなど苦しい経験が多かった。それだけに、アルカラス戦は幸せな思い出となった。
再び第一線で活躍するジュムホールは、エッセイをこう結んでいる。
「3年前、死を覚悟した。今は、自分の愛することをまたできている」
構成●スマッシュ編集部
【動画】アルカラスと熱戦を演じたジュムホールの「全仏オープン」3回戦ハイライト
【関連記事】“試合中に殺害予告”と報じられたジュムホール。「情報を正確に伝えて…」と強く否定〈SMASH〉
【関連記事】「これはスキャンダルだ」全仏OPの対応にジュムホールが激怒!新型コロナ疑いで出場拒否され法的措置へ
旧ユーゴスラビア・サラエボ出身のジュムホールは、2011年にプロ転向すると14年の「全豪オープン」で四大大会本戦初勝利を挙げた。17年9月には「サンクトペテルブルク・オープン」でATPツアー初優勝を果たし、10月にも「クレムリン・カップ」を制覇。18年6月には「アンタルヤ・オープン」でツアー3勝目を挙げ、自己最高の世界23位に到達した。俊敏なフットワークと粘り強いストロークを武器に、長く同国男子テニスの第一人者として活躍している。
エッセイによると、大きな困難が彼を襲ったのは22年の「全仏オープン」だった。予選初戦でフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)に敗れた直後、彼は激しい腹痛に襲われ、病院で急性膵炎と診断された。即座に集中治療室へ運ばれ、6日間を過ごすことになる。「若く健康でなければ助からなかったかもしれない」と振り返るほど、命に関わる状態だった。
食生活や飲酒の乱れもなく、原因は特定されなかった。家族と離れたパリの病院での入院生活は1カ月に及び、特に生後間もない息子ルカと会えない時間はつらかったという。「人生で必要なのは、ただ家に帰ることだと感じた」。医師の反対を押し切り、家族の近くで治療を受けるためベオグラードへの転院を希望。そこでさらに2週間半の入院を経て、息子との再会を果たす。「ルカが生まれた瞬間が一番幸せな出来事なら、その次はあの病院で彼と会った瞬間だ」と振り返っている。
退院時、ジュムホールの体重は55キロまで落ち、テニス復帰は考えられなかった。「生きていることだけで幸せだった」。しかし、回復とともに再びラケットを握る意欲が湧き上がる。22年夏、ランキングは243位まで後退していたがコートへ戻った。
18年に到達した世界23位からは遠く、トップ100復帰すら不可能に思えたが、昨年には再び100位以内に返り咲き、現在はトップ50も射程圏内。「テニスは変わった。今は38歳、39歳でも一線で戦える選手がいる。自分もまだ老け込む年齢じゃない」と、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)やガエル・モンフィス(フランス)らの活躍を励みにキャリアを続行する。
あれから3年。今季の「全仏オープン」3回戦では、後に優勝するカルロス・アルカラス(スペイン)と対戦し、1セットを奪取した。「フィリップ・シャトリエの雰囲気は人生でも特別な経験の一つだった」と振り返る。これまでパリではアレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)戦でマッチポイントを逃し、翌年には肩を骨折、そして膵炎に倒れるなど苦しい経験が多かった。それだけに、アルカラス戦は幸せな思い出となった。
再び第一線で活躍するジュムホールは、エッセイをこう結んでいる。
「3年前、死を覚悟した。今は、自分の愛することをまたできている」
構成●スマッシュ編集部
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