男子テニスのクロアチアの名手、イワン・ドディグが今季終了とともにラケットを置いた。単複両方で長く存在感を示してきた40歳が、ATP公式サイトのインタビューでキャリアを振り返っている。
最初の転機は2011年2月、拠点とするザグレブでのATPツアー初優勝だ。その後の長いキャリアの礎となる勝利だった。ただし、決勝ではミハエル・ベラー(ドイツ)を相手にマッチポイントでエースを決めたと思い込み、ラケットを観客席へ。しかし直後、主審からまさかのレットを告げられてしまう。ドディグは当時をこう語る。
「『まさかだろ』と思いました。信じられなかった。ラケットを返してくれるよう頼まなくてはいけないし、大変でした」
仕切り直しとなったものの、動揺は隠せずポイントを失ってデュースへ。それでも踏みとどまり、6-3、6-4でツアー唯一のシングルス優勝をつかんだ。
この前年に初めてトップ100入りし、15年以上キープ。13年には28歳で自己最高の世界29位に到達した。だが、17年にシングルスから距離を置くと、翌年にはダブルスへ完全転向。背中に問題を抱えていたが故の決断が、長い活躍につながった。
男子ダブルスでは、全仏オープン(15年、23年)と全豪オープン(21年)で計3度優勝。ツアーで計24勝を積み重ね、23年にダブルス世界2位にたどり着いた。「Nitto ATPファイナルズ」にはマルセロ・メロ(ブラジル)、マルセル・グラノラーズ(スペイン)、フィリプ・ポラセク(スロバキア)、オースティン・クライチェク(アメリカ)と、4人のパートナーと計9度の出場を数える。
また、彼のキャリアを語る上で欠かせない親友がいる。元世界3位のマリン・チリッチ(クロアチア)だ。2人はボスニア・ヘルツェゴビナの小さな町メジュゴルジェで育ち、母国のスターであるゴラン・イバニセビッチに魅せられた。決して恵まれていたとは言えない環境のなか、互いに夢を語り合ってきたという。やがてそれぞれが成功を収め、東京五輪ではペアを組んで男子ダブルス銀メダルも獲得した。
「僕たちの歩んできた道は他の多くの人とは違っていて、そこを誇りに思っています。僕たちはこの地域の多くの子どもたちをテニスに向かわせた。本当に素晴らしいことです」
引退を決断した理由については、次のように明かした。
「年初から選択肢を考えていて、数カ月後には自分のラストイヤーになると決めていました。多くのことを成し遂げ、長いキャリアを幸せに過ごせました」
そして次世代へ向けたメッセージも残している。
「自分の競技人生で、子どもたちが道を見つけ、夢を探すきっかけになれていたらうれしいし、少しでも励みになっていたなら誇らしく思います。コートではいつも、自分のためにも家族や地域のためにも、そしてテニスを愛してプロを目指す人たちのためにも全てを出し切りました。とても満足しています」
構成●スマッシュ編集部
【画像】ドディグ/チリッチで男子ダブルス銀メダル! 東京オリンピック・パラリンピックのテニス競技のメダリストたち
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「『まさかだろ』と思いました。信じられなかった。ラケットを返してくれるよう頼まなくてはいけないし、大変でした」
仕切り直しとなったものの、動揺は隠せずポイントを失ってデュースへ。それでも踏みとどまり、6-3、6-4でツアー唯一のシングルス優勝をつかんだ。
この前年に初めてトップ100入りし、15年以上キープ。13年には28歳で自己最高の世界29位に到達した。だが、17年にシングルスから距離を置くと、翌年にはダブルスへ完全転向。背中に問題を抱えていたが故の決断が、長い活躍につながった。
男子ダブルスでは、全仏オープン(15年、23年)と全豪オープン(21年)で計3度優勝。ツアーで計24勝を積み重ね、23年にダブルス世界2位にたどり着いた。「Nitto ATPファイナルズ」にはマルセロ・メロ(ブラジル)、マルセル・グラノラーズ(スペイン)、フィリプ・ポラセク(スロバキア)、オースティン・クライチェク(アメリカ)と、4人のパートナーと計9度の出場を数える。
また、彼のキャリアを語る上で欠かせない親友がいる。元世界3位のマリン・チリッチ(クロアチア)だ。2人はボスニア・ヘルツェゴビナの小さな町メジュゴルジェで育ち、母国のスターであるゴラン・イバニセビッチに魅せられた。決して恵まれていたとは言えない環境のなか、互いに夢を語り合ってきたという。やがてそれぞれが成功を収め、東京五輪ではペアを組んで男子ダブルス銀メダルも獲得した。
「僕たちの歩んできた道は他の多くの人とは違っていて、そこを誇りに思っています。僕たちはこの地域の多くの子どもたちをテニスに向かわせた。本当に素晴らしいことです」
引退を決断した理由については、次のように明かした。
「年初から選択肢を考えていて、数カ月後には自分のラストイヤーになると決めていました。多くのことを成し遂げ、長いキャリアを幸せに過ごせました」
そして次世代へ向けたメッセージも残している。
「自分の競技人生で、子どもたちが道を見つけ、夢を探すきっかけになれていたらうれしいし、少しでも励みになっていたなら誇らしく思います。コートではいつも、自分のためにも家族や地域のためにも、そしてテニスを愛してプロを目指す人たちのためにも全てを出し切りました。とても満足しています」
構成●スマッシュ編集部
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