海外テニス

美しく、強く、プロであり続けた不撓不屈のアスリート。マリア・シャラポワが女子テニス界に残したレガシー

内田暁

2020.02.28

今年の全豪オープン1回戦でドナ・ベキッチに敗れたシャラポワ。これが最後の試合となった。(C)GettyImages

 その質問を投げかけたとき、ペトラ・クビトワは一瞬目を丸くし、息を呑んだ。

「そうなの……それは、今初めて知ったわ……」
 
 マリア・シャラポワがSNSや、ファッション誌『ヴォーグ』及び『ヴァニティ・フェア』のウェブ版で自らの進退を一斉に表明したその時、クビトワは、砂漠の町のテニスコートに立っていた。

 カタール・オープンの3回戦。強風のなかエレナ・オスタペンコとの接戦を制した29歳は、試合後の会見の席ではじめて、11の対戦を重ねたライバルが「テニスにさよなら」を告げたことを知る。戦績ではクビトワが4勝7敗と後塵を拝するが、その4勝のうち1つは、彼女のキャリアにとって最も重要で、思い出深い白星である。

 2011年ウインブルドン決勝――。
 シャラポワというスーパースターを破ったことで、当時20歳のサウスポーが手にした優勝プレートは、一層のまばゆい輝きを放った。

「私にとって、彼女と同時代にツアーを回り、コート上での時間を共有したのは光栄なこと。彼女との試合は、常に"バトル"だったわ。ビッグヒッターとの打ち合いは気分も高揚するし、私は常に、彼女に敬意を抱いてもいた」

 ネットをはさみ対峙した日々をそう振り返る彼女だが、シャラポワの引退を聞いて真っ先に口にしたのは、次のような言葉である。

「自分の経験からしても、ケガからの復帰がいかに大変なものか分かっている。彼女は多くのケガを経験してきたから。もちろん身体が許すのであれば、もっとプレーして、より多くの成功を手にしたかったでしょう」
 
 年間30億近くを稼ぎ、ハリウッドのパーティ等で人々の羨望の視線を集めてきたシャラポワに、ケガで苦しむ悲壮なイメージは、あまりそぐわないかもしれない。

 あるいは近年では、禁止薬物メルドニウムの使用という、暗い印象が付きまといもしただろう。この2年ほどの不振についても、15ヶ月の謹慎処分のブランクや、「メルドニウム無しでは勝てない」と囁く声があったことも否めない。周囲は、5つのグランドスラムタイトルを持つ元世界1位の現状に、時に負の憶測も口にもする。だが、シャラポワを近くで見ていたプレーヤーたちが「引退」と聞いて真っ先に思ったのは、彼女がケガと戦う姿だった。
 
 公の発表に先駆け、引退を前提に『ニューヨーク・タイムズ』紙の取材を受けていたシャラポワは、その記事の中で次のように語っている。

「メルドニウムと、引退の関連性は"ゼロ"。21歳の時から、私はずっと肩に問題を抱えていた」

 シャラポワが肩にメスを入れたのは、2008年のこと。10ヶ月間ツアーを離れ、一時はランキングが100位以下に落ちる失意も経験し、そこから再び世界1位、そして全仏オープンで2度のタイトルをつかむところまで這い上がった。

 だがその間も彼女のキャリアは、常に治療とリハビリで、トーナメントと試合をつなぐ日々だったという。昨年も、ケガの抜本的解決と完全復帰の祈りを込め再び肩にメスを入れるが、「ネズミが筋肉の中を駆け回っているよう」な痛みは、ついぞ消えなかったという。昨年は7大会にしか出場できず、今年1月の全豪オープンでは初戦で敗退。その帰りの飛行機の中で、彼女は、これが最後の試合だと悟った。
 
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後進に影響を与えたシャラポワのメンタリティとプロフェッショナリズム