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国内テニス

テニスが、スポーツが新しく動き始めることを願い…。『BEATCOVID-19オープン』の開催を決断した2人の思い

内田暁

2020.06.03

クラウドファンディングを利用した、新しい形の大会開催を提案する山根太郎氏(左)と竹内映二氏(右)。写真:山根太郎、スマッシュ編集部

クラウドファンディングを利用した、新しい形の大会開催を提案する山根太郎氏(左)と竹内映二氏(右)。写真:山根太郎、スマッシュ編集部

 テニスをなんとか再開できないだろうか? ドメスティックな大会を作れないだろうか――?
 
 コロナ禍により男女のテニスツアーが停止する中で、そのような思いを抱いた人は、日本国内にも決して少なくない数がいたはずだ。ただ誰もが願いながらも、手段を持たず歯がゆさを覚えるなかで、兵庫県に住む2人の人物のビジョンが交錯した時、願いは輪郭を伴い実現に向けて走りはじめた。

 彼がラケットを手にしたのは、15歳の時だった。幼少期に患った病の後遺症のため、激しいスポーツを禁じられていたがゆえの、遅いテニスとの出会い。ただその遅れた邂逅が、テニスへの熱を急激に高めもした。

 来る日も来る日もコートに向かう息子に、父親は「これだけやっても全国大会に行けないなら、やめなさい」と進言するが、結局彼は大学進学後も、自宅に近いアカデミー“テニスラボ”に通い始め一層テニスにのめり込む。

 同世代には中村藍子や近藤大生ら、世界を転戦するトッププロたちもいた。その猛者揃いの環境で腕を磨き、自らも世界を目指したが、21歳の時に参戦したニュージーランドのフューチャーズ予選で完敗を喫した時、本人曰く「すっぱり見切りをつけた」。以降の彼は、ビジネスの世界でトップを目指す。
 
 住宅設備機器・建築資材を商うサンワカンパニーの山根太郎社長は、このようにテニスと歩んできた。仕事に没頭しコートから離れた時期もあったが、上海駐在時代にテニスを介して地元コミュニティに溶け込み、改めて「テニスは自分の人生を形成する、重要な要素だったんだ」と実感する。

 そのテニスに、何か恩返ししたい――。

 常にそう思いながらも、公に行なう機はなかなかなかった中で、今回のコロナ禍でテニス界や選手が置かれた状況に心を痛める。「テニスラボの選手たちは、練習をできているのか? 海外では、ローカルな規模でテニス大会を開催している所もあるようだが、日本でその動きはないのだろうか?」緊急事態宣言が発令された4月中旬、彼はかつての“ホームコート”であるテニスラボに連絡を入れていた。

 テニスラボ所属の選手や指導者陣を率いながら、竹内映二コーチは葛藤を抱いていたという。

 選手やテニス界そのもののためにも、国内でドメスティックな大会を開きたい。だが、人の行き来が制限され集団感染が心配される現状で、果たしてそれが正しい判断なのだろうか――?

 ならばまずは、感染リスクを抑えテニスが再開できないかと、USTA(全米テニス協会)をはじめ、国内外の防疫ガイドラインや資料を読み漁った。だがそうしている間にも、愛好家たちの間でも楽観派と憂慮派の二極化が進んでいる。住んでいるエリアや環境によっても、危機感や対策はまちまちだ。
 

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