1990年代にテニス界を席巻したアメリカのビッグ4、アンドレ・アガシ、ジム・クーリエ、ピート・サンプラス、マイケル・チャン。その中で、クーリエは独特の存在感を見せた選手だった。
特徴的だったのは彼のバックハンド。クーリエの両手打ちバックはそれまで見たこともない個性的なフォームで、見る者の度肝を抜いた。野球少年だった彼は、バットスイングをそのまま応用したような打ち方で、ボールを強烈にひっぱたいたのだ。
7コマ目のように両腕を伸ばして前方に突き出し、打点を極端に前にとって厚く捉えるのがクーリエのスタイル。スピードのあるフラット系のボールが持ち球だった。80年代に出現したイワン・レンドル以降、男子のテニス界は、スピンとスピードの両立型が主流となっていたが、クーリエはそれをもっと厚い当たりに進化させたと言える。
91年から93年にかけてはグランドスラムで4勝を挙げ、アメリカの4強の中でもトップの存在となったクーリエ。しかし皮肉なもので、彼が自ら推進したテニスのスピード化は、やがて自らの首を絞めることになる。
腕を突き出すぶんリーチが短くなる彼のフォームは、スピードテニスにおいて自分が打点に入る時間をも奪い、キャリア後半は低迷する原因にもなった。グランドスラムで活躍したのは96年まで。以降はベスト8に入ることもできなかった。
2000年を最後に引退。デビスカップの監督を務めるなどした後、現在はコメンテーターとして人気を博している。
【プロフィール】ジム・クーリエ/Jim Courier(USA)
1970年生まれ。ATPランキング最高位1位(92年2月)。グランドスラム通算4勝(AUS:92・93年、RG:91・92年)。厚い当たりの強力なグラウンドストロークを得意とする。野球のバッティングのようなグリップで打つ両手バックハンドが特徴。91~93年の間には、GS優勝4回に加え準優勝3回という驚異的な強さを誇った。同年代のアガシやサンプラスより早く一時代を築いたが、その後は急激に下降。2011~18年デ杯アメリカ代表監督。
編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部
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特徴的だったのは彼のバックハンド。クーリエの両手打ちバックはそれまで見たこともない個性的なフォームで、見る者の度肝を抜いた。野球少年だった彼は、バットスイングをそのまま応用したような打ち方で、ボールを強烈にひっぱたいたのだ。
7コマ目のように両腕を伸ばして前方に突き出し、打点を極端に前にとって厚く捉えるのがクーリエのスタイル。スピードのあるフラット系のボールが持ち球だった。80年代に出現したイワン・レンドル以降、男子のテニス界は、スピンとスピードの両立型が主流となっていたが、クーリエはそれをもっと厚い当たりに進化させたと言える。
91年から93年にかけてはグランドスラムで4勝を挙げ、アメリカの4強の中でもトップの存在となったクーリエ。しかし皮肉なもので、彼が自ら推進したテニスのスピード化は、やがて自らの首を絞めることになる。
腕を突き出すぶんリーチが短くなる彼のフォームは、スピードテニスにおいて自分が打点に入る時間をも奪い、キャリア後半は低迷する原因にもなった。グランドスラムで活躍したのは96年まで。以降はベスト8に入ることもできなかった。
2000年を最後に引退。デビスカップの監督を務めるなどした後、現在はコメンテーターとして人気を博している。
【プロフィール】ジム・クーリエ/Jim Courier(USA)
1970年生まれ。ATPランキング最高位1位(92年2月)。グランドスラム通算4勝(AUS:92・93年、RG:91・92年)。厚い当たりの強力なグラウンドストロークを得意とする。野球のバッティングのようなグリップで打つ両手バックハンドが特徴。91~93年の間には、GS優勝4回に加え準優勝3回という驚異的な強さを誇った。同年代のアガシやサンプラスより早く一時代を築いたが、その後は急激に下降。2011~18年デ杯アメリカ代表監督。
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