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【レジェンドの素顔1】マッケンローが味わった絶望感。初めて追われる身の苦しさを知った戦い|後編

立原修造

2020.12.08

1982年ウインブルドン決勝。マッケンローはコナーズとの対戦で、得意なボレーのコントロールを失っていた。写真:THE DIGEST写真部

 大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心を覗いていくシリーズ「素顔のスーパースター」。1982年のウインブルドン決勝にて、マッケンローがコナーズと対峙した時に抱いた揺れ動く心境を描く。

 ボルグ時代が終焉をむかえ、マッケンローに本格的な脚光があたり、その真価を問われることととなった1982年ウインブルドン、サービス&ボレーが得意とするマッケンローは着実に勝利し決勝へ。そこで待ち受けていたのがコナーズ。低迷期を経て復活に燃えていた。

 周囲からのプレッシャーを受けての試合は、順風とは言い難かった。第1セットをマッケンロー、第2セットはコナーズが獲得。このセット終盤、マッケンローは、ボレーミスを犯すなど、らしかぬらミスが出ていた…。

  ◆  ◆  ◆

試合に負けても絶望はしないね

 どんなミスにも、それなりの理由があるものだ。力が入りすぎたとか、タイミングが早すぎたとかいった、当たり前すぎる理由というものが――。

 マッケンローはこう語っていたことがある。
「試合に負けても決して絶望はしないね。負けるには当然、理由があるわけだろ。それがわかれば絶望する必要なんてまったくないよ。肝心なのは、理由を見つけ出して、あとで生かすことさ」

 マッケンローの気持ちの切り替えの早さは、まさに理由づけの巧みさからきているといえるだろう。

 たとえば、自分がアウトだと思ったボールをラインズマンは認めてくれない。ラインズマンに食ってかかるマッケンロー。しかし、判定が覆るわけではない。このままでは感情が乱れてプレーに悪影響が及ぶ。

「あのラインズマンは間抜けだ。ジャッジがヘタすぎる。まったく、人間のクズだぜ」
 そう思いこむことによって、あの"一球"のことはあきらめようとする。審判を愚弄することによって、自分を押さえようとするわけだ。つまり、マッケンローは、どんなに不利な状況になっても、自分を巧みに納得させる術を知っている。
 
 何かにつけて理由をつけたがるのは、アイルランド系の気質なのもかもしれない。短気でカッカすることもあるが、その度に適当な理由を見つけ出してきて、自分をコントロールしようとする。

 ある行動に理屈を見い出せば、これほど真面目になれる選手もあまりいない。

 しかし、あの2つの凡ミス――。どんな理由も、マッケンローには見当たらなかった。完璧、とまではいかなくても、普通に打てたつもりだった。あんなに大きなアウトになるはずがないのに―――。

 結果的に、この2つのミスは、マッケンローが考えまいとしていたことを鮮明に際立たせることになった。

 つまり、体調が不十分だということだ。

「理由もなく、凡ミスをするようじゃ、俺も危ないな」
 朝目覚めたときの肩の引っかかり。それは試合中には感じなかった。身体も特別重くはないし、自分では普通のつもりだった。しかし、ボレーにミスは多いし、考えられない凡ミスを犯してしまった。

「これが、プレッシャーというものか」
 マッケンローは初めて、自分をがんじがらめにしている重圧感というものを感じた。大一番を前に緊張し切ったことは何度もある。そのために思うようなプレーができなかったことも――。

 しかし、今日はこれまでの比じゃない。まるで別人のような自分がいて、次々に凡ミスを重ねていく。今さらながら、ボルグはたいしたもんだと思う。王座を守り抜くことの難しさを、今ようやくマッケンローは知り始めたのだった。