大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。
1986年のウインブルドン、ベッカーが18歳で2連覇を達成するという圧倒的な強さを見せた。その時、マッケンローは長い休養に入っていた。彼にとって、プレーヤー人生最大のピンチを迎えていたためだ。マッケンローのナンバーワン復活はあるのか…。当時の彼を精神面から追った。
◆ ◆ ◆
1986年1月から休養に入ったマッケンローをめぐって、さまざまな意見がテニスファンの間で交わされた。ときには、誰がウインブルドンのチャンピオンになるかといったタイムリーな予想より、はるかにスリリングな関心を呼び起こすほどだった。今さらながら、マッケンローという男の凄味を感じた人も多かっただろう。
それにしてもなぜ、マッケンローはこの時期、長い休養を取ったのか。
オーバーワークによる身体の故障、テータムの出産など、もっともらしい原因は確かにある。しかし、半年以上も休むというのは余程だ。休養は思いのほか長びいた。
マッケンローはこの9年間、大会に出ずっぱりで、デビュー以来、まともな休養を取ったことがなかった。オフ・シーズンの少ないプロテニス界で、率先して自らオフ・シーズンをつくり出すのは結構大変なことだ。そうでもしなければ、到底、身体を休めることなどできない。
しかし、もし、「精神面」がマッケンローの休養を長びかせていたとしたら、やっかいだ。そのことを少し考えてみよう。
マッケンローは愛情に飢えた男
トッププロになる選手たちは、生活の大半の時間をテニスに捧げている。ボルグを例に見てみよう。超人的な集中力を誇ったボルグは、1日6時間以上といったハードな練習によって、自分を鍛え上げていった。初めてラケットを持った9歳の時から、彼はそんな生活に何ら疑問をはさまなかった。
しかし、26歳という若さであっけなくボルグはコートを去って行った。そのあまりに早すぎる引退はいろいろと取り沙汰された。ただ、「人生にはテニス以外にも大切なことがある」という彼自身の言葉がすべてを語っている気がする。
他のことに興味を持ち始めて、テニス三昧の日々にあきたらなくなったのだ。その途端に実力が落ちる。禁断の味を覚えてしまった者は、なかなか元の生活に戻りたがらないものだ。
どんなプレーヤーにも、いつしかそんな日が訪れる。マッケンローにも――。
1986年のウインブルドン、ベッカーが18歳で2連覇を達成するという圧倒的な強さを見せた。その時、マッケンローは長い休養に入っていた。彼にとって、プレーヤー人生最大のピンチを迎えていたためだ。マッケンローのナンバーワン復活はあるのか…。当時の彼を精神面から追った。
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1986年1月から休養に入ったマッケンローをめぐって、さまざまな意見がテニスファンの間で交わされた。ときには、誰がウインブルドンのチャンピオンになるかといったタイムリーな予想より、はるかにスリリングな関心を呼び起こすほどだった。今さらながら、マッケンローという男の凄味を感じた人も多かっただろう。
それにしてもなぜ、マッケンローはこの時期、長い休養を取ったのか。
オーバーワークによる身体の故障、テータムの出産など、もっともらしい原因は確かにある。しかし、半年以上も休むというのは余程だ。休養は思いのほか長びいた。
マッケンローはこの9年間、大会に出ずっぱりで、デビュー以来、まともな休養を取ったことがなかった。オフ・シーズンの少ないプロテニス界で、率先して自らオフ・シーズンをつくり出すのは結構大変なことだ。そうでもしなければ、到底、身体を休めることなどできない。
しかし、もし、「精神面」がマッケンローの休養を長びかせていたとしたら、やっかいだ。そのことを少し考えてみよう。
マッケンローは愛情に飢えた男
トッププロになる選手たちは、生活の大半の時間をテニスに捧げている。ボルグを例に見てみよう。超人的な集中力を誇ったボルグは、1日6時間以上といったハードな練習によって、自分を鍛え上げていった。初めてラケットを持った9歳の時から、彼はそんな生活に何ら疑問をはさまなかった。
しかし、26歳という若さであっけなくボルグはコートを去って行った。そのあまりに早すぎる引退はいろいろと取り沙汰された。ただ、「人生にはテニス以外にも大切なことがある」という彼自身の言葉がすべてを語っている気がする。
他のことに興味を持ち始めて、テニス三昧の日々にあきたらなくなったのだ。その途端に実力が落ちる。禁断の味を覚えてしまった者は、なかなか元の生活に戻りたがらないものだ。
どんなプレーヤーにも、いつしかそんな日が訪れる。マッケンローにも――。