車いすテニス男子世界ランク1位の国枝慎吾が、ITF(国際テニス連盟)のインタビューでパラリンピックへの熱い想いを明かした。
2004年のアテネ大会で初めてパラリンピックに出場した国枝は、これまで単複通算で3つの金メダルと2つの銅メダルを獲得。連続出場中の4大会でも、やはり初出場となった大会が、自身にとって最も特別だった明かす。
齋田悟司選手とのダブルスで金メダルを掴んだ国枝だが、実はこの時、「このパラリンピックを最後に引退しようと思っていた」のだという。その理由は「テニスには多額のお金がかかるし、親に負担をかけたくなかった」からだった。しかし、ダブルスで表彰台の頂点に立ち、「プロとして活動を続ける選択肢ができた」と語った。
これをきっかけとしてプロ続行を決断した国枝は、まさに破竹の勢いと呼べる活躍を続けてきた。前述のパラリンピックでの5つのメダル獲得のほか、昨年の全米オープンでは、グランドスラム男子車いす部門歴代最多となる単複通算44回目の優勝を成し遂げたのも記憶に新しい。
そして、彼は今回の東京大会にも、並々ならぬ思いを抱いている。初の母国開催に「まだどんな気持ちになるのか想像できません」としつつも、「初めての経験をとても楽しみにしています」と口にした。
また、東京では4つ目の金メダル獲得の他にも「目標」がある。それは多くのファンに車いすテニスの楽しさを知ってもらうという大きなものだ。国枝は、こう説いている
「(車いすテニスには)素晴らしい選手がたくさんいて、パラリンピックでは彼らの激しい試合を見ることができる。その選手たちのファンになってほしいし、もちろん自分のファンになってくれたらうれしい。車いすテニスを知らない人たちに、楽しさを知ってもらう大きなチャンスとなることを願っています」
今年で37歳を迎えた国枝は、一時右ヒジのケガに悩まされてランキングを大きく落とす苦しい時期を過ごした。それでも、手術を乗り越え、バックハンドのフォーム改善など工夫を凝らして復活を遂げ、現在は再び世界1位の座に立っている。世界の車いすテニス界を引っ張る存在として、まだまだ活躍を続けてほしい。
構成●スマッシュ編集部
【PHOTO】大会初代王者となった国枝慎吾の雄姿を見よ!2019年楽天オープン車いす部門フォトギャラリー
2004年のアテネ大会で初めてパラリンピックに出場した国枝は、これまで単複通算で3つの金メダルと2つの銅メダルを獲得。連続出場中の4大会でも、やはり初出場となった大会が、自身にとって最も特別だった明かす。
齋田悟司選手とのダブルスで金メダルを掴んだ国枝だが、実はこの時、「このパラリンピックを最後に引退しようと思っていた」のだという。その理由は「テニスには多額のお金がかかるし、親に負担をかけたくなかった」からだった。しかし、ダブルスで表彰台の頂点に立ち、「プロとして活動を続ける選択肢ができた」と語った。
これをきっかけとしてプロ続行を決断した国枝は、まさに破竹の勢いと呼べる活躍を続けてきた。前述のパラリンピックでの5つのメダル獲得のほか、昨年の全米オープンでは、グランドスラム男子車いす部門歴代最多となる単複通算44回目の優勝を成し遂げたのも記憶に新しい。
そして、彼は今回の東京大会にも、並々ならぬ思いを抱いている。初の母国開催に「まだどんな気持ちになるのか想像できません」としつつも、「初めての経験をとても楽しみにしています」と口にした。
また、東京では4つ目の金メダル獲得の他にも「目標」がある。それは多くのファンに車いすテニスの楽しさを知ってもらうという大きなものだ。国枝は、こう説いている
「(車いすテニスには)素晴らしい選手がたくさんいて、パラリンピックでは彼らの激しい試合を見ることができる。その選手たちのファンになってほしいし、もちろん自分のファンになってくれたらうれしい。車いすテニスを知らない人たちに、楽しさを知ってもらう大きなチャンスとなることを願っています」
今年で37歳を迎えた国枝は、一時右ヒジのケガに悩まされてランキングを大きく落とす苦しい時期を過ごした。それでも、手術を乗り越え、バックハンドのフォーム改善など工夫を凝らして復活を遂げ、現在は再び世界1位の座に立っている。世界の車いすテニス界を引っ張る存在として、まだまだ活躍を続けてほしい。
構成●スマッシュ編集部
【PHOTO】大会初代王者となった国枝慎吾の雄姿を見よ!2019年楽天オープン車いす部門フォトギャラリー