「久しぶり!」と古いテニス仲間に肩を叩かれたのは、キャンパスに近い、サンタモニカのバーだったという。
大学卒業を控えた、最後の夏休み。テニスの名門でもあるペパーダイン大学で経営学を学んでいた彼は、法科大学院へと進む予定で、必要な試験も全てクリアしていた。
4歳から始めたテニスとは、大学を最後に、距離を置くつもりでいた。フューチャーズに出てATPポイントは持っていたが、小柄だったこともあり、プロとして生計を立てるのは難しいとも感じてもいた。
バーで遭遇した友人に「この夏は、なんか予定あるの?」と声を掛けられたのは、そんな折である。
「何もないなら、IMGアカデミーがヒッティングパートナーを探しているから、やらないか?」
この友人の誘いを、詳しく聞くこともなく承諾した。酔っていたこともあるだろうし、なにせ夜中の2時だ。本当の話かどうかも、わからなかった。
3週間後――。彼の下に、一通のテキストメッセージが届く。
「マリア・シャラポワのヒッティングパートナーをして欲しいのだが」
文面には、そう書いてあった。
かのシャラポワかと驚きながらも、彼はロサンゼルスからフロリダ行きの飛行機に乗り込む。英国出身の学生プレーヤー、トム・ヒルのキャリアは、この時、予想もしていなかった方向へと進み始めた。
それから、4年。「もしあの時にバーにいなければ、僕はここにいなかった」。そう言い彼は、ローランギャロスの会見室で笑う。
現在ヒルが指導するのは、世界18位のマリア・サッカリ。ギリシャのナンバー1選手とは、共にツアーを回り初めて3年が経とうとしていた。
シャラポワのヒッティングパートナーを務めた時、彼はまだ、法科大学院に行くつもりだったという。ところが、IMGでシャラポワ以外にも多くの選手と練習するうちに、ダニエル・コリンズから「コーチになってほしい」と言われたのだった。
「まったく想像もしていないことでした。僕はまだ21歳か22歳だったし」
法律家か、ツアーコーチか――。
両極端な二択だが、彼は後者を選ぶ。そうしてわずか半年で、コリンズは世界の220位から、39位までランキングを駆け上がった。その躍進が注視を集め、彼は、多くのオファーを受けるようになる。当時50位前後のサッカリも、そのうちの一人だった。
大学卒業を控えた、最後の夏休み。テニスの名門でもあるペパーダイン大学で経営学を学んでいた彼は、法科大学院へと進む予定で、必要な試験も全てクリアしていた。
4歳から始めたテニスとは、大学を最後に、距離を置くつもりでいた。フューチャーズに出てATPポイントは持っていたが、小柄だったこともあり、プロとして生計を立てるのは難しいとも感じてもいた。
バーで遭遇した友人に「この夏は、なんか予定あるの?」と声を掛けられたのは、そんな折である。
「何もないなら、IMGアカデミーがヒッティングパートナーを探しているから、やらないか?」
この友人の誘いを、詳しく聞くこともなく承諾した。酔っていたこともあるだろうし、なにせ夜中の2時だ。本当の話かどうかも、わからなかった。
3週間後――。彼の下に、一通のテキストメッセージが届く。
「マリア・シャラポワのヒッティングパートナーをして欲しいのだが」
文面には、そう書いてあった。
かのシャラポワかと驚きながらも、彼はロサンゼルスからフロリダ行きの飛行機に乗り込む。英国出身の学生プレーヤー、トム・ヒルのキャリアは、この時、予想もしていなかった方向へと進み始めた。
それから、4年。「もしあの時にバーにいなければ、僕はここにいなかった」。そう言い彼は、ローランギャロスの会見室で笑う。
現在ヒルが指導するのは、世界18位のマリア・サッカリ。ギリシャのナンバー1選手とは、共にツアーを回り初めて3年が経とうとしていた。
シャラポワのヒッティングパートナーを務めた時、彼はまだ、法科大学院に行くつもりだったという。ところが、IMGでシャラポワ以外にも多くの選手と練習するうちに、ダニエル・コリンズから「コーチになってほしい」と言われたのだった。
「まったく想像もしていないことでした。僕はまだ21歳か22歳だったし」
法律家か、ツアーコーチか――。
両極端な二択だが、彼は後者を選ぶ。そうしてわずか半年で、コリンズは世界の220位から、39位までランキングを駆け上がった。その躍進が注視を集め、彼は、多くのオファーを受けるようになる。当時50位前後のサッカリも、そのうちの一人だった。