海外テニス

“五輪の魔力”に屈してきたジョコビッチ。年間ゴールデンスラムの可能性、そして出場に至るまでの複雑な要素とは?

内田暁

2021.07.23

男子テニス界で圧倒的な強さを見せるジョコビッチ。自身初の五輪金メダルを手にすることはできるか。(C)Getty Images

「僕の小さな友人、コウジロウを失望させることはできない。チーム・セルビアの一員として五輪で戦うべく、東京行きの飛行機を予約したよ」

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 ソーシャルメディアで公開されたこの一文が、テニス界最強の男の、東京五輪出場表明だった。

 ここで言及されている「コウジロウ」とは、ソーシャルメディアを介して知った日本のテニス少年。少年の誕生日に、ビデオメッセージで伝えた「東京五輪で会おう」の約束に、ノバク・ジョコビッチは忠実であろうとした。

「現時点では、出場するかどうかは五分五分だ」

 ウィンブルドンを制したばかりのジョコビッチが、2週間後に迫った五輪出場の可能性についてそう述べたとき、記者たちの反応もまた、驚きと納得が半々だった。

 ジョコビッチの、五輪金メダルに挑んできた歴史と情熱の集積を思えば、欠場の可能性が半分を占めることは意外だ。だが同時に、4年前のリオ五輪での出来事と、その後に彼を襲った不調を思えば、悩むのも当然だった。

 母国セルビアでは「大統領以上に人気がある」と評されるジョコビッチの、国を代表することへの誇りは強い。だからこそ彼は、一テニス選手の価値観を越えて、五輪の金メダルを欲し続けてきた。
 
 初挑戦は、21歳だった2008年の北京。当時、まだロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルに継ぐ「第3の男」だった彼にとって、銅メダルは順当な結果だったとも言える。

 その彼が、セルビア代表の騎手として参戦したのが、12年のロンドン。しかしこの時は、地元優勝に並々ならぬ執念を燃やすアンディ・マリーに準決勝で競り負け、3位決定戦でもホアン・マルティン・デルポトロに破れた。

 そうして迎えた16年のリオは、王者として君臨する彼が、圧倒的な優勝候補として挑んだ大会である。当時の彼は、前年のウィンブルドンから翌年の全仏オープンまでの四大大会すべてを1年間で制するなど、キャリア最高の時を謳歌していた。

 しかしここでもまた、運命はジョコビッチに試練を与える。彼が初戦で当たったのは、デルポトロ。ケガのためランキングこそ落としていたが、完全復調の最中にあった実力者だ。

 対して無敵に見えたジョコビッチは、酷使し続けてきた右ひじに人知れず痛みを抱えていた。その痛みも影響したか、4年前にメダルを阻まれた宿敵に、またもジョコビッチは敗れる。万雷の拍手を背にコートを去る世界1位は、人目もはばからず涙を零した。
 
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リオ五輪出場後には苦闘が続き…