「本当に、プロになったことは全く後悔してなくて。この道を歩んできてよかったと思っているので、そういう意味では本当にやりきったって思いますし、プロの道を選んでよかったなって思います」
そう明言する彼女の声音や表情に、虚勢などの混じり気は一切ない。胸の内からごく自然に滑り出る、未加工な想いのようだった。
今年10~11月開催の全日本選手権を最後に引退すると表明した、井上雅の言葉である。
「夢は叶えられなかったけれど、グランドスラムという夢に向かってずっと頑張ってきたことは、自分の誇りではありますし、そこは今後も自信を持って、『頑張ってきた』って言えることです」
引退を控え語ったこの言葉こそが、彼女の12年のキャリアを、端的に物語っているかもしれない。
最高ランキングは、2015年9月に達した275位。グランドスラム予選には、わずかに届かなかったキャリアではある。それでもコートに立つ限り、自分はグランドスラムに続く道に居ると信じられた。それはジュニア時代に、夢舞台をその目に焼き付け、空気を肌身で感じた原体験があるからだろう。
「夢」の言葉を口にした時、彼女が思い出すのはとりもなおさず、“テニスの聖地”の光景だ。
芝の緑に映える純白のウェア。熱狂しながらも、どこか気品を感じさせる客席のファン――それはテニスに関わる者なら誰もが憧れる、もっとも格調高く華やかな空間。 “ザ・チャンピオンシップス”の正式名称を誇り、広くは“ウインブルドン”の名で知られる伝統の大会のジュニア部門で、井上は17歳の時にベスト4へと勝ち上がった。
「またここに戻ってきたい」
その純粋な情熱が、井上をコートへと駆り立て続けた原動力だ。
もし、この時のウインブルドンJr.で、ベスト4に行ってなければ――?
誰しも人生には多くの“if”が存在するが、とりわけ勝負の世界に生きるアスリートには、その瞬間が明瞭に浮かび上がりやすい。
井上にとってはこのベスト4こそが、人生の大きなターニングポイントだ。それは単に戦績面だけでなく、テニスと自身の関係性において……という意味でもある。
「前はテニスが嫌いでしたね。それこそ、ジュニアの頃とかは」
やや意外なその言葉に、「なぜ」と問うと、彼女は次のように答えた。
「自分が好きでやってるっていう感覚がほんとになくて、ただやらされてるという感じだったので。テニスがない人生は確かにあり得なかったけれど、もうテニスしかないんだなって思うぐらい、結構テニスに追い込まれていた。嫌いって言ったらちょっとあれですけど、好きではなかったですね。もう試合をするしかないって感じでした」
そう明言する彼女の声音や表情に、虚勢などの混じり気は一切ない。胸の内からごく自然に滑り出る、未加工な想いのようだった。
今年10~11月開催の全日本選手権を最後に引退すると表明した、井上雅の言葉である。
「夢は叶えられなかったけれど、グランドスラムという夢に向かってずっと頑張ってきたことは、自分の誇りではありますし、そこは今後も自信を持って、『頑張ってきた』って言えることです」
引退を控え語ったこの言葉こそが、彼女の12年のキャリアを、端的に物語っているかもしれない。
最高ランキングは、2015年9月に達した275位。グランドスラム予選には、わずかに届かなかったキャリアではある。それでもコートに立つ限り、自分はグランドスラムに続く道に居ると信じられた。それはジュニア時代に、夢舞台をその目に焼き付け、空気を肌身で感じた原体験があるからだろう。
「夢」の言葉を口にした時、彼女が思い出すのはとりもなおさず、“テニスの聖地”の光景だ。
芝の緑に映える純白のウェア。熱狂しながらも、どこか気品を感じさせる客席のファン――それはテニスに関わる者なら誰もが憧れる、もっとも格調高く華やかな空間。 “ザ・チャンピオンシップス”の正式名称を誇り、広くは“ウインブルドン”の名で知られる伝統の大会のジュニア部門で、井上は17歳の時にベスト4へと勝ち上がった。
「またここに戻ってきたい」
その純粋な情熱が、井上をコートへと駆り立て続けた原動力だ。
もし、この時のウインブルドンJr.で、ベスト4に行ってなければ――?
誰しも人生には多くの“if”が存在するが、とりわけ勝負の世界に生きるアスリートには、その瞬間が明瞭に浮かび上がりやすい。
井上にとってはこのベスト4こそが、人生の大きなターニングポイントだ。それは単に戦績面だけでなく、テニスと自身の関係性において……という意味でもある。
「前はテニスが嫌いでしたね。それこそ、ジュニアの頃とかは」
やや意外なその言葉に、「なぜ」と問うと、彼女は次のように答えた。
「自分が好きでやってるっていう感覚がほんとになくて、ただやらされてるという感じだったので。テニスがない人生は確かにあり得なかったけれど、もうテニスしかないんだなって思うぐらい、結構テニスに追い込まれていた。嫌いって言ったらちょっとあれですけど、好きではなかったですね。もう試合をするしかないって感じでした」