トロフィーを抱えながらモニターを眺める双眸が、みるみる潤み、涙が溢れ落ちそうになる。
「自分でも忘れかけていたような試合でも、実は、大きな価値を持つ勝利がたくさんあったんだなと思って……」
スクリーンに次々に映し出される、自身の栄光の瞬間を見つめながら、彼女はそれらが、まだどこか現実味のない遠い出来事のようにも感じていた。
全仏オープン優勝者にして、年間世界ランキング1位の選手による、WTAファイナルズの優勝――。
アシュリー・バーティーにとっての「信じられないシーズン」は、女子テニス界にとっては、真の女王が誕生した、時代の節目となりうる1年だった。
テニスオーストラリアが、WTAファイナルズ中にリリースした"少女たちよ、テニスを続けよう"キャンペーンでは、バーティーの姿が動画や大きくフィーチャーされている。テニスをプレーする少女のうち、3人に1人は18歳までに辞めてしまう現状に端を発したこのキャンペーンの、キャッチコピーは「I play for me(プレーするのは、自分のため)」。
「女の子はテニスに向いてない」「女子は筋力が足りない」
そんな先入観や周囲の声を打ち破るように、身長166センチで「いつも、あなたは小柄すぎると言われてきた」というバーティーが、時速185キロのサービスを打つ事実が謳われる。 誰にためでもない。周りの視線や声も関係ない。
「あなた自身のために、テニスをしよう!」。
笑顔でそう呼びかけるバーティーこそが、かつては「18歳までに辞めてしまう、3人のうちの1人」であった。
現在、オーストラリア・フェドカップのキャプテンを務めるアリシア・モリックは、初めて10~11歳のバーティーを見た時の衝撃を、鮮明に覚えているという。
「メルボルン開催のジュニア大会で、知り合いのコーチが『すごい子がいる』と教えてくれた。他の子に比べて身体は小さかったけれど、全てができた。チップ、キック、スライス……非常に完成度が高かった」
このような、少女時代のバーティーに関するエピソードは、多くの関係者から今でも耳にする。土居美咲も19歳の頃、当時14歳だったバーティーと練習し、「とんでもない子がいる。どんなショットでも打てる。穴がない」とショックを受けたのだと言った。
ただ、それほどまでに幼少期から突出した才能は、嫌でも周囲の耳目を集める。彼女に向けられた注視と期待は、テニス大国を自負するオーストラリアの矜持を触媒として膨れ上がり、まだ幼さを残すバーティーの心を、限界ギリギリまで押し潰した。18歳でのテニスからの「離別」を、今の彼女は「あれは、私が選んだ道ではなかった。あれより他に、道がなかった」と振り返る。
「自分でも忘れかけていたような試合でも、実は、大きな価値を持つ勝利がたくさんあったんだなと思って……」
スクリーンに次々に映し出される、自身の栄光の瞬間を見つめながら、彼女はそれらが、まだどこか現実味のない遠い出来事のようにも感じていた。
全仏オープン優勝者にして、年間世界ランキング1位の選手による、WTAファイナルズの優勝――。
アシュリー・バーティーにとっての「信じられないシーズン」は、女子テニス界にとっては、真の女王が誕生した、時代の節目となりうる1年だった。
テニスオーストラリアが、WTAファイナルズ中にリリースした"少女たちよ、テニスを続けよう"キャンペーンでは、バーティーの姿が動画や大きくフィーチャーされている。テニスをプレーする少女のうち、3人に1人は18歳までに辞めてしまう現状に端を発したこのキャンペーンの、キャッチコピーは「I play for me(プレーするのは、自分のため)」。
「女の子はテニスに向いてない」「女子は筋力が足りない」
そんな先入観や周囲の声を打ち破るように、身長166センチで「いつも、あなたは小柄すぎると言われてきた」というバーティーが、時速185キロのサービスを打つ事実が謳われる。 誰にためでもない。周りの視線や声も関係ない。
「あなた自身のために、テニスをしよう!」。
笑顔でそう呼びかけるバーティーこそが、かつては「18歳までに辞めてしまう、3人のうちの1人」であった。
現在、オーストラリア・フェドカップのキャプテンを務めるアリシア・モリックは、初めて10~11歳のバーティーを見た時の衝撃を、鮮明に覚えているという。
「メルボルン開催のジュニア大会で、知り合いのコーチが『すごい子がいる』と教えてくれた。他の子に比べて身体は小さかったけれど、全てができた。チップ、キック、スライス……非常に完成度が高かった」
このような、少女時代のバーティーに関するエピソードは、多くの関係者から今でも耳にする。土居美咲も19歳の頃、当時14歳だったバーティーと練習し、「とんでもない子がいる。どんなショットでも打てる。穴がない」とショックを受けたのだと言った。
ただ、それほどまでに幼少期から突出した才能は、嫌でも周囲の耳目を集める。彼女に向けられた注視と期待は、テニス大国を自負するオーストラリアの矜持を触媒として膨れ上がり、まだ幼さを残すバーティーの心を、限界ギリギリまで押し潰した。18歳でのテニスからの「離別」を、今の彼女は「あれは、私が選んだ道ではなかった。あれより他に、道がなかった」と振り返る。