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海外テニス

本玉真唯、初めてのグランドスラムを戦い終えて広がった視界「自分を外から見られるようになった」<SMASH>

内田暁

2022.07.01

初めてのグランドスラム本戦入り、そして初めての白星を手にした本玉。今回のウインブルドンを通して、視界が大きく広がったようだ。(C)Getty Images

初めてのグランドスラム本戦入り、そして初めての白星を手にした本玉。今回のウインブルドンを通して、視界が大きく広がったようだ。(C)Getty Images

「この5年間、米さんとジャイミーさんとやってきたことが形になったのは、自信になったのですが……」

 そこまで言って言葉を短く切ると、本玉真唯は笑みと共に声を張った。
「ちょっと、悔しいです! ちょっとじゃなくて、すごく悔しいです‼」

 予選3試合を勝ち上がり、本戦初戦も相手の途中棄権ながら自分のテニスを貫き突破。手応えを覚え挑んだ2回戦は、3-6、2-6の敗戦となった。ただスコア以上に競った内容であることは、第1セットに手にした15本のブレークポイントが物語る。

 この5年間、コーチの神尾米氏と比嘉ジャイミー氏と共に「試行錯誤しながらいつも上を目指してきた」旅路の、一つのマイルストーンが今回のウインブルドンだった。

 奇しくも……というべきか。先日、伊達公子が発起人となり誕生した、世界ランキングトップ50経験者たちによる後進育成のための組織“JWT50”の幹事に、神尾がいる。この会の趣旨として、伊達が特に力を込めて語るのが、「ジュニアからプロへのスムーズな移行を促すこと」だった。

 90年代に黄金期を誇った日本女子テニスには、その移行期で試行錯誤しながら、最終的に世界の舞台に至った人材が揃っている。それら“知の財産”を、後進に伝えていくことが大きな目的だ。
 
 その意味でも本玉は、90年代に蓄えられた知の財産の継承者と言えるかもしれない。

 本玉が、親しみと敬意を込めて「米さん」と呼ぶ現コーチに師事し始めたのが、17歳の時。その17歳まで本玉を育てたのは、神尾らと同世代で、ジュニア時代に国内トップ選手だった山岸依子である。

 本玉はその山岸に師事した時代を、「球出しなどの基本練習をいっぱいやり、土台を築いた」と振り返る。「ミスが少なく正確なショット」は、それら基礎練習のたまものだ。

 そして神尾の下に移ってからは、「メンタル面や戦術だったり、大きい部分ではスライスやドロップショットを教えてもらったり」と、実戦で必要な要素を次々と習得した。

 今回、予選から勝ち上がり2回戦に至ったウインブルドンは、まさにそれら戦略性と展開力を磨いた証明だ。結果的に敗れた本戦2回戦のディアン・パリー戦でも、ドロップショットやスライスを効果的に用い、戦略的にポイントを奪う場面が多々見られた。
 
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