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海外テニス

セレナのラストマッチの相手トムヤノビッチが共感、後輩ガウフが感謝「これまで以上に大きな夢を目指したい」<SMASH>

内田暁

2022.09.04

3時間におよぶ試合となったセレナ(左)とトムヤノビッチ(右)。(C)Getty Images

3時間におよぶ試合となったセレナ(左)とトムヤノビッチ(右)。(C)Getty Images

「とても寂しく思っている。だって私も、あなたたちと同じくらいに、セレナのことが大好きだから……」
 
 本来なら、その煌びやかなスポットライトは、彼女のものであるはずだった。初めて立つアーサーアッシュスタジアム。初めて対戦するセレナ・ウィリアムズ。そして全米オープンテニスで初めての4回戦進出――。

 だが、「渇望していた」勝利を得た刹那、アイラ・トムヤノビッチは寂寥感を覚え、「これは私ではなく、セレナのための時間」と悟ったという。

 いましがた自分が破った相手がコートに立ち、涙ながらに両親や姉に謝意を述べる姿に、彼女は自分自身を重ねていた。それは、23度のグランドスラムタイトルを持つセレナ・ウィリアムズが、25年のプロキャリアに幕を引いた瞬間だった。

 オーストラリア国籍のトムヤノビッチが、セレナに共感する要素は、一見すると薄いように思える。だが、クロアチアに生まれ、テニスを人生の成功への鍵としてアメリカに渡り、最終的にはオーストラリアに根を下ろした彼女のキャリアは、その信念の部分でセレナと通底していた。

 9年前、20歳にして世界ランク78位に達した長身のハードヒッターは、当時、有望な女子選手を求めていたオーストラリアテニス協会の目に止まる。同協会は練習環境やコーチ等のサポートを約束し、代わりにオーストラリア人としてプレーすることを彼女に望んだ。
 
 水面下で進められていたこの“移籍話”が表に出た時、オーストラリアとクロアチア、さらにはアメリカのテニス協会の間でも、協議が行なわれたという。突如として渦中の人となった20歳は、当時、次のように語っていた。

「私は、より良いテニスの環境を求めて13歳の時にクロアチアを離れてアメリカに渡った。それ以降、多くの方の支援があった。今、色々と言われているのは知っているけれど、人の考えを私が支配することはできない。多くの人が、私の決断を受け入れてくれることを望むしかない」。

 結局、当時の落としどころは、グランドスラムだけはオーストラリア国旗の下でプレーし、通常のツアーはクロアチア人として出場することだった。彼女が、全ての大会にオーストラリア国籍で参戦するようになったのは、2018年からである。

 それから4年。29歳にしてキャリア最高位にも達したトムヤノビッチは、勝者インタビューで、こう語る。

「私も、ある部分でセレナと同じだった。信頼してくれる家族と、夢、そして夢を叶えるための意志に、テニスへの情熱と愛情。それ以外には、何もなかった」……と。
 
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