去る8月18日。日本テニス協会は、来季からのデビスカップ日本代表監督に、添田豪が新たに就任すると発表した。
先日、誕生日を迎えたばかりの38歳。世界ランキング474位。最高位は2012年に記録した47位。まだ現役ではあるが、10月の全日本選手権を最後に第一線を退くことを決意したうえでの、新たなキャリアへの門出だった。
4年前には、全日本男子プロテニス選手会の発起人となり、自ら初代会長に就任。寡黙で涼しげな風情とは裏腹に、内には熱い想いをたぎらせる。
その背で仲間や後進たちに一つの道を示してきた彼は、日本代表監督として何を目指し、どのような未来を描こうとしているのか? 秘めた想いを、言葉で紡いでもらった。
―――◆―――◆―――
何を尋ねても立て板に水で、淀みなく答えが返ってくる。その清涼感溢れる言葉の数々に、彼が監督就任を決意して以降、いかに自身に多くを問いかけ、深慮を重ねてきたかがうかがえた。
実際に本人も、「はい、すごく考えています」と控えめに笑う。その「考え」の始まりとは――。
「監督になりたいと思い始めたのは、今年の4月頃です。それまでは、全くそんな考えはなかったのですが、ちょうどその頃、現役を辞めようかと考え始めまして……」
「今年の始めまでは本当に、できればあと2年くらいは現役を続けたいと思っていたんです。でも、ちょっとランキングが落ち始め、厳しいと感じたのが4月頃。ちょうどその数か月前に、来年から協会も新体制になるという話を聞いていたので、だったら監督になろうかなと。突然、やってみようと思ったというのが、正直なところです」
「僕自信、一度スイッチが入ると、結構そっちに全力でモードが切り替わっちゃう方なので」――そう言い“新監督”は自嘲気味に笑う。「それからは、監督になりたい一心だった」という彼は、協会に自ら監督を志願するまでになった。
かくのごとく決断そのものは、スイッチが切り替わるように、ある瞬間に唐突に訪れたという。だが源泉となるパッションそのものは、選手生活を通じて蓄積され、長い月日をかけて圧力と熱を高めていた。
「選手会設立の頃から、思いや行動は今につながっていると思います。その当時から、日本のテニスに対して危機感を覚えた部分もあったし、下の選手のことも考えるようになったので。もちろん当時は自分も現役だったので、自分も含めた選手の環境改善が選手会設立の目的でした。そこから選手を退くことを考えた時、日本を強くしなくてはいけないという使命感が出てきたのは確かです」
先日、誕生日を迎えたばかりの38歳。世界ランキング474位。最高位は2012年に記録した47位。まだ現役ではあるが、10月の全日本選手権を最後に第一線を退くことを決意したうえでの、新たなキャリアへの門出だった。
4年前には、全日本男子プロテニス選手会の発起人となり、自ら初代会長に就任。寡黙で涼しげな風情とは裏腹に、内には熱い想いをたぎらせる。
その背で仲間や後進たちに一つの道を示してきた彼は、日本代表監督として何を目指し、どのような未来を描こうとしているのか? 秘めた想いを、言葉で紡いでもらった。
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何を尋ねても立て板に水で、淀みなく答えが返ってくる。その清涼感溢れる言葉の数々に、彼が監督就任を決意して以降、いかに自身に多くを問いかけ、深慮を重ねてきたかがうかがえた。
実際に本人も、「はい、すごく考えています」と控えめに笑う。その「考え」の始まりとは――。
「監督になりたいと思い始めたのは、今年の4月頃です。それまでは、全くそんな考えはなかったのですが、ちょうどその頃、現役を辞めようかと考え始めまして……」
「今年の始めまでは本当に、できればあと2年くらいは現役を続けたいと思っていたんです。でも、ちょっとランキングが落ち始め、厳しいと感じたのが4月頃。ちょうどその数か月前に、来年から協会も新体制になるという話を聞いていたので、だったら監督になろうかなと。突然、やってみようと思ったというのが、正直なところです」
「僕自信、一度スイッチが入ると、結構そっちに全力でモードが切り替わっちゃう方なので」――そう言い“新監督”は自嘲気味に笑う。「それからは、監督になりたい一心だった」という彼は、協会に自ら監督を志願するまでになった。
かくのごとく決断そのものは、スイッチが切り替わるように、ある瞬間に唐突に訪れたという。だが源泉となるパッションそのものは、選手生活を通じて蓄積され、長い月日をかけて圧力と熱を高めていた。
「選手会設立の頃から、思いや行動は今につながっていると思います。その当時から、日本のテニスに対して危機感を覚えた部分もあったし、下の選手のことも考えるようになったので。もちろん当時は自分も現役だったので、自分も含めた選手の環境改善が選手会設立の目的でした。そこから選手を退くことを考えた時、日本を強くしなくてはいけないという使命感が出てきたのは確かです」