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国内テニス

日本女子代表の新エース内島萌夏、注目の21歳を大きく羽ばたかせた「あの時の誓い」<SMASH>

内田暁

2022.11.22

今年1年で400位台から104位まで順位を上げ、今月開催の国別対抗戦では日本のエースとしてコートに立った内島。その躍進の原動力となったものは…。写真:田中研治(THE DIGEST写真部)

今年1年で400位台から104位まで順位を上げ、今月開催の国別対抗戦では日本のエースとしてコートに立った内島。その躍進の原動力となったものは…。写真:田中研治(THE DIGEST写真部)

「正直、あの大会でプロを目指そうって思えたくらい、自分の中では一番大きなきっかけだったんです」

 懐かしそうな笑みを顔に広げ、彼女は「あの時」を回想する。

 それは、2018年の5月。岐阜開催の「カンガルーカップ国際女子オープン」で、決勝に勝ち上がった日のことだ。

 内島萌夏、当時16歳。    彼女が決勝で当たったのは、世界103位の奈良くるみだった。

 この時の初対戦から遡ること1週間——、内島は奈良とボールを打ち合っていた。ただそれは、対戦相手としてではない。兵庫県で開催された、フェドカップの日本対イギリス戦。奈良は日本のエースとしてチームを牽引し、内島は“サポートメンバー”としてチームに帯同していた。その時、奈良は内島が打つボールを見て、「この子はモノが違う。うまく育てば本当に楽しみな選手になる」と直感する。

「イギリス勢の強打に備えるには、彼女と練習するのが一番」

 そう思った奈良はウォームアップの相手に内島を指定し、そして狙い通りに勝利をつかんだ。

 その1週間後——。内島は奈良とカンガルーカップ決勝で対戦し、第2セットは追い上げるも背を捕えきれずに敗れる。

 表彰式では、トロフィーを手にする奈良の姿を目に映し、涙ながらに宣言した。

「多くのことを今日の試合で学びました。奈良さんのように、世界で活躍する選手になりたいです」……と。
 
 それから4年半後の、今年11月――。フェドカップから「ビリー・ジーン・キングカップ(BJKカップ)」と名を変えた国別対抗戦の対ウクライナ戦を控え、内島は再び奈良と練習していた。

 ただ今回は、内島が日本代表チームのエース、そして2カ月前に現役を引退した奈良は、チームのサポートメンバーとして。流れる時は二人の立場を入れ替え、内島は世界の106位に成長していた。

 ただ、BJKカップで初のエースの大役を任された内島は、持てる力を出し切れず、2戦2敗で悔し涙を流した。

 深く負った心の傷を癒す間もなく、敗戦の2日後には、彼女は安藤証券オープン(11月15~20日/ITF 60,000ドル)に出場する。その際には、新規に安藤証券との所属契約が締結されたことも発表された。

 安藤証券は、10年近くに及ぶ奈良の所属先。自身も学生時代にテニスに青春を捧げた安藤敏行社長は、内島の才能に衝撃を覚えた日の記憶として、4年半前の岐阜で目撃した奈良との決勝戦を挙げた。

 新たな所属先も得ての、新たなキャリアの起点ともなった今回の安藤証券オープン。ただ内島にとっては、BJKカップでの敗戦の痛手に、トップ100への重圧等も重なる、「とても苦しい」精神状態で迎えた大会でもあった。
 
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