首から下げる選手用パスの写真の中で、彼女は制服姿だった。
「中学の卒業証書のために撮った写真です」
苦笑いで明かすその写真は、ジュニア部門に出場した時に大会に提供したものだ。
あれから、4年――。
内島萌夏(うちじまもゆか)が全仏オープン会場に足を踏み入れたのは、その時以来のことだった。
20歳になった内島の、現在のランキングは209位。その数字だけ見れば、十分に順当な足跡に思える。ただ、16歳時に300位台までランキングを上げた本人の肌感覚としては、「苦労してきた」4年間だった。
「苦労」の最大の要因は、プロとして活動していくうえの「拠点や環境」問題である。常時練習できる“ホームコート”を持つことは、選手にとって最重要事項にして、もっとも頭を悩ます点。プロの指導経験を持つコーチを見つけるのも、簡単なことではない。
試行錯誤の時を1年以上過ごした内島が、最終的に足元を定めた地は、中国の広州。中国やアメリカで数多くの選手指導歴を持つアラン・マーを頼り、彼が運営するアカデミーを拠点とした。2019年、18歳の誕生日を迎えて間もない、夏の頃だった。
テニスラケットを握ったのが9歳とやや遅く、始めて間もなく天性の才覚で次々にタイトルを取った内島には、本格的な指導を受けた経験が少なかったかもしれない。
172センチの長身を利し、ボールをクリーンに打ち抜く能力は誰もが認めるところ。17歳の頃までは、それら言わば“親からの財産”で、勝っていた側面が強かっただろう。
その原石の輝きはしかし、経験豊かな指導者の目には、正しく研磨されていないように映ったようだ。
「コーチのアランには、フォアからサーブまで、色々と直されました」
目を細め、照れたように打ち明けたのは、中国に渡って5か月ほど経った2020年2月。
新たな環境にも慣れ、真のプロ活動のスタートを切ろうとしたその矢先、世界のテニス界は新型コロナウイルス感染拡大により、突如として停止した。
“最短でも3か月間、テニスの国際大会は一切開催されない”。
そのニュースを聞いた時、内島には、中国に残るか、日本に帰るかの2つの選択肢があった。
ただ実際には、迷うことはほとんどなかったと言う。
「中学の卒業証書のために撮った写真です」
苦笑いで明かすその写真は、ジュニア部門に出場した時に大会に提供したものだ。
あれから、4年――。
内島萌夏(うちじまもゆか)が全仏オープン会場に足を踏み入れたのは、その時以来のことだった。
20歳になった内島の、現在のランキングは209位。その数字だけ見れば、十分に順当な足跡に思える。ただ、16歳時に300位台までランキングを上げた本人の肌感覚としては、「苦労してきた」4年間だった。
「苦労」の最大の要因は、プロとして活動していくうえの「拠点や環境」問題である。常時練習できる“ホームコート”を持つことは、選手にとって最重要事項にして、もっとも頭を悩ます点。プロの指導経験を持つコーチを見つけるのも、簡単なことではない。
試行錯誤の時を1年以上過ごした内島が、最終的に足元を定めた地は、中国の広州。中国やアメリカで数多くの選手指導歴を持つアラン・マーを頼り、彼が運営するアカデミーを拠点とした。2019年、18歳の誕生日を迎えて間もない、夏の頃だった。
テニスラケットを握ったのが9歳とやや遅く、始めて間もなく天性の才覚で次々にタイトルを取った内島には、本格的な指導を受けた経験が少なかったかもしれない。
172センチの長身を利し、ボールをクリーンに打ち抜く能力は誰もが認めるところ。17歳の頃までは、それら言わば“親からの財産”で、勝っていた側面が強かっただろう。
その原石の輝きはしかし、経験豊かな指導者の目には、正しく研磨されていないように映ったようだ。
「コーチのアランには、フォアからサーブまで、色々と直されました」
目を細め、照れたように打ち明けたのは、中国に渡って5か月ほど経った2020年2月。
新たな環境にも慣れ、真のプロ活動のスタートを切ろうとしたその矢先、世界のテニス界は新型コロナウイルス感染拡大により、突如として停止した。
“最短でも3か月間、テニスの国際大会は一切開催されない”。
そのニュースを聞いた時、内島には、中国に残るか、日本に帰るかの2つの選択肢があった。
ただ実際には、迷うことはほとんどなかったと言う。