女子テニスの「WTAツアー」でトップ50位内に入った実績を持つ日本人が、その経験値をジュニア世代に還元するために立ち上げた一般社団法人『Japan Women's Tennis Top50 Club』(JWT50)。発起人の伊達公子氏を含む9名のメンバーが、リレー形式でキャリアの分岐点を明かすのがシリーズ『扉が開いた瞬間』。第3回は、元世界47位の中村藍子氏が、自身のターニングポイントについて語ってくれた。
◆ ◆ ◆
「ムリッ! わたし、こんなところで試合できない!」
大観衆でふくれあがるロッドレーバー・アリーナの片隅で、彼女は一人、おののいていた。
2005年、全豪オープン2回戦。鈴木貴男が世界1位のロジャー・フェデラーに挑む一戦を、彼女は客席から見ていた。次の日には、自分がその場に立つ現実と向き合いながら……。
「だってセンターコート、お客さんでいっぱいなんですよ! わたし、それまで観客の前で試合やることもほとんどなかったのに。『え⁉ ナニこれ』って。しかも貴男さん、いい試合してお客さん盛り上がってるし!」
中村藍子、当時21歳。予選を勝ち上がり、初めて出場したグランドスラムの2回戦で、彼女は第10シードで地元選手の、アリシア・モリックと戦うことが決まっていた。用意された舞台は、センターコートのナイトセッション。鈴木対フェデラー戦を見ながら、彼女は同じ場所に立つ自分を想像し、怯えに近い胸の高鳴りを感じていた。
翌日――。センターコートに足を踏み入れた時、彼女は思っていた以上に、自分が落ち着いていることを知る。
「コートに入った時は『すご!』って思ったけれど、覚悟が決まってたんでしょうね。夢のグランドスラムのセンターコートじゃないですか。ずっと……ジュニア時代から『いつか試合したい』って思っていた場所ですから」
もちろん、地元人気選手に「連れてきてもらった」ステージではある。ただ同時に、「自分で勝ち取った」権利だとの矜持もある。予選決勝では猛暑の死闘を、最後は「奇跡のドロップショット」をねじ込み制した。本戦初戦では、相手も予選上がりという好機を、重圧を跳ね除け勝ち上がった。
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「ムリッ! わたし、こんなところで試合できない!」
大観衆でふくれあがるロッドレーバー・アリーナの片隅で、彼女は一人、おののいていた。
2005年、全豪オープン2回戦。鈴木貴男が世界1位のロジャー・フェデラーに挑む一戦を、彼女は客席から見ていた。次の日には、自分がその場に立つ現実と向き合いながら……。
「だってセンターコート、お客さんでいっぱいなんですよ! わたし、それまで観客の前で試合やることもほとんどなかったのに。『え⁉ ナニこれ』って。しかも貴男さん、いい試合してお客さん盛り上がってるし!」
中村藍子、当時21歳。予選を勝ち上がり、初めて出場したグランドスラムの2回戦で、彼女は第10シードで地元選手の、アリシア・モリックと戦うことが決まっていた。用意された舞台は、センターコートのナイトセッション。鈴木対フェデラー戦を見ながら、彼女は同じ場所に立つ自分を想像し、怯えに近い胸の高鳴りを感じていた。
翌日――。センターコートに足を踏み入れた時、彼女は思っていた以上に、自分が落ち着いていることを知る。
「コートに入った時は『すご!』って思ったけれど、覚悟が決まってたんでしょうね。夢のグランドスラムのセンターコートじゃないですか。ずっと……ジュニア時代から『いつか試合したい』って思っていた場所ですから」
もちろん、地元人気選手に「連れてきてもらった」ステージではある。ただ同時に、「自分で勝ち取った」権利だとの矜持もある。予選決勝では猛暑の死闘を、最後は「奇跡のドロップショット」をねじ込み制した。本戦初戦では、相手も予選上がりという好機を、重圧を跳ね除け勝ち上がった。