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国内テニス

【神尾米/扉が開いた瞬間】笑顔を絶やさぬ少女を世界24位に至らせた「我慢」と「覚悟」<SMASH>

内田暁

2023.02.19

小学3年の時にテニスを始めた神尾氏。水泳にも打ち込んでいたが、6年時からテニス一筋になった。写真:THE DIGEST写真部

小学3年の時にテニスを始めた神尾氏。水泳にも打ち込んでいたが、6年時からテニス一筋になった。写真:THE DIGEST写真部

 女子テニスの「WTAツアー」でトップ50位内に入った実績を持つ日本人8名が、その経験値をジュニア世代に還元するために立ち上げた一般社団法人『Japan Women's Tennis Top50 Club』(JWT50)。現在9名いるメンバーがリレー形式でキャリアの分岐点を明かすのがシリーズ『扉が開いた瞬間』だ。第9回は、元世界24位の神尾米氏が、自身のターニングポイントについて語ってくれた。

 ◆   ◆   ◆

「ヨネ! 明日も来るよな!」

 有無も言わさぬその呼びかけに、思わず「はいっ!」と元気いっぱいに応じてしまったのが、すべての始まりであった。

「そこからもうずっと、蟻地獄のようにはまっちゃった。やめたいなんて、とても怖くて言えなくて」

 言葉だけ抜き取ると物々しいが、口にする神尾米の語り口はどこまでも柔らかく、表情は過去を慈しむように優しい。

 小学6年生の、夏の日。それまで水泳にも打ち込んでいた少女の進む道が、テニス一筋に定められた瞬間だった。
 
 神尾がラケットを握ったのは、小学3年生の頃と、やや遅い。兄二人を持つ3兄妹の末っ子が、最初に始めたのは水泳の方。テニススクールに通っていたのは母で、幼い神尾はスイミングに送ってもらうため、テニススクールで母を待っていた。

 その時に、「待っているだけは退屈でしょ? あなたも打ってみる?」とコートに誘ってくれたのが、スクールのオーナーである。ラケットを手に取りボールを打つと、彼女はすぐにとりこになった。

 まずは一人で、壁打ちを繰り返す。そのうち母とラリーを交わすと、ボールに宿る“感情”の深さに引き込まれた。

「テニスのラリーって、ボールに感情が表れて。私と母、どちらかがイライラしていると、繋がらない。それが和やかな雰囲気になった時に、一気にボールが繋がるようになる。その感じがすごい好きで!」
 
 ボールの意志に導かれるようにテニスに傾倒した彼女は、小学6年生時の夏休みに、家からほど近い“イラコテニスカレッジ”の体験レッスンを受けた。

 その第一印象は、「とんでもないところに来てしまった」である。「あんまりにも、厳しかった」からだ。

 厳しく、つらく、とても無理だと思った数日間の体験レッスン。ところがその最終日に、神尾は冒頭の一言を、コーチの伊良子妙子氏から掛けられたのだ。

 なぜ、伊良子氏は神尾に声を掛けたのか――?

 後に神尾は、本人からこんな説明を聞いたという。

「ヨネっていう名前が面白かったようなんです。『コメっていうの?』、『ヨネです』、『ヨネか今どき⁉』というような会話を交わして、そこからはヨネ、ヨネ!ってよく呼ばれました。

 あと伊良子先生が言うには、私はボール拾いの時に、自分のコートだけではなく、隣のコートまで行っていた。それが先生の目には、すごく魅力的に映ったそうです。いつも笑っていたのも印象的だったと言っていました」

 隣のコートまで一生懸命にボールを拾いに走り、笑顔を絶やさぬその少女は、コーチにしても気付けば目で追う存在で、つい名を呼んでいたのかもしれない。

 名を呼ばれた少女もまた、何かを感じて反射的に応じる。そこにも“感情”を伴った、言葉のラリー交換があった。
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