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【伊達公子】96年のウインブルドン準決勝グラフ戦で日没サスペンデッドをすぐに受け入れた理由<SMASH>

伊達公子

2024.07.12

「決勝に最も近づけたと同時に、やっぱり遠いんだと思わされた一戦でした」と言う伊達公子さん。写真:THE DIGEST写真部

 前回に続き、1996年ウインブルドンテニス準決勝、ステフィ・グラフ(ドイツ)戦について書きたいと思います。第1セットを高速ロケットスタートでグラフに取られ、第2セットに入って感覚をつかめた私がセットオールに持ち込んだところで、日没サスペンデッド(延期)が告げられました。

 実はこの日は雨が降っており、当時のセンターコートは屋根がなかったので、ほぼ試合はないだろうと言われていたんです。けれども雨が止んで試合が始まると、センターコートの第1試合が思ったよりも早く終わり、急遽試合をすることになりました。もしかしたら、グラフが試合をしたいと言ったのかもしれません。

 第2セットに入り、私の流れになってから、グラフが主審に何かアピールをしているのは、ちらりと見えていました。でも、集中を乱されたくなかったので、気にしないようにしていたんです。1-1(セットオール)になった時に、彼女が主審の元に行き、スーパーバイザーが来るのが見えて、何をアピールしていたのか理解しました。

 スーパーバイザーが私に「サスペンデッド」と告げた時は、私はボールが見えていたので「え?」と思いましたが、決断は覆らないだろうとも感じました。それに、この日の内に残り1セットは終わらないだろうと思ったんです。
 
 あと数ゲーム、可能な限り続けた場合、流れ的にリードできたかもしれません。しかし、中途半端に2-1とか2-2になり残りを翌日に残すよりも、1セットまるまる残っていた方がいいと思いました。状況判断を瞬間的に自分の中でしたわけです。

 リセットされればグラフは元通りになることはわかっていたので、いかに差を広げられずに付いていくかでしたが、簡単なことではありませんでした(笑)。不安材料も消えて普段の彼女になっていましたし、私の感覚もなくなっていました。それこそが、彼女が狙っていたことでしたから。
 
 もしサスペンデッドになっていなかったら? あの日、雨が降らずに予定通りの時間に試合が始まっているか、第1試合が競って試合が翌日スタートになりサスペンデッドがない状態であれば、違った結果になる可能性は残っていたかもしれません。ただ、あの試合ができていたかどうかは未知数です。この試合はグランドスラム決勝に最も近づけたと同時に、やっぱり遠いんだと思わされた一戦でした。

 実はウインブルドンのセンターコートでプレーしたのは96年準々決勝のメアリー・ピアース(フランス)戦が初めてでした。対戦相手がシード選手でセンターコートに立つのではなく、自分の実力で入りたいと思っていたので、その夢は叶いました。ウインブルドンのセンターコートといえば必ず選手なら経験する、しかし今では見られなくなった、コートに足を踏み入れクルッとロイヤルボックに向き直しケント公にお辞儀をすることもできましたし。ウインブルドンは100ではありませんが、達成感を味わうことができた大会でした。

文●伊達公子
撮影協力/株式会社SIXINCH.ジャパン

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