後にジョン・ロイドと結婚したとき、ジョンの少年時代の環境を聞いて、びっくりしたことがある。イギリスではどこでも、冬の間にプレーすることは不可能だったのだ。
「ぼくがもし、フロリダに生まれていたら、トップ10に入るくらいのプレーヤーになっていたと思うよ」。ジョンがにが笑いを浮かべながらそう言ったとき、クリスは自分がどんなに幸運な土地で育ったかを知った。
さて、クリスをチャンピオンに押し上げたもう一つの幸運についてだが、それには父親のジミーに登場してもらわなければならない。ジミーは地元でティーチング・プロをしていたのだが、彼ほど影響力の強いコーチを身内に持てたことがクリスには幸いした。素質を一気に開花させる原動力になったのである。ジミーがいればこそ――。
といっても、クリスの少女時代、父親のジミーがつきっきりでコーチをしてくれたというわけではない。事実、クリスは、「技術的にパパから教わったことはない」と明言している。
むしろ、ジミーは、クリスの両手打ちバックハンドに対して、最初は反対だった。小さい頃のクリスは、小柄でとても非力な少女だったため、バックハンドは両手で打っていた。ジミーは、それまで両手打ちバックハンドで大成したプレーヤーがいないという理由で、なんとかクリスの両手打ちをやめさせようとした。しかし、クリスがバックハンドを片手で打つと、ボールはまったくネットを越えていかなかった。
ジミーは仕方なくクリスの両手打ちを認めることにした。顔は怒りでまっ赤だった。将来、クリスの最大の武器となる両手打ちバックハンドは、あやうく父親のジミーによって、やめさせられるところだったのである。素直に従っていたら、どうなっていたことか―――。
それでも、なお、クリスのテニスはジミーによって築き上げられたといっても過言ではない。何を根拠にそう言い切れるのか。それはテニスが非常にメンタルなスポーツであることと無縁ではない。
「ぼくがもし、フロリダに生まれていたら、トップ10に入るくらいのプレーヤーになっていたと思うよ」。ジョンがにが笑いを浮かべながらそう言ったとき、クリスは自分がどんなに幸運な土地で育ったかを知った。
さて、クリスをチャンピオンに押し上げたもう一つの幸運についてだが、それには父親のジミーに登場してもらわなければならない。ジミーは地元でティーチング・プロをしていたのだが、彼ほど影響力の強いコーチを身内に持てたことがクリスには幸いした。素質を一気に開花させる原動力になったのである。ジミーがいればこそ――。
といっても、クリスの少女時代、父親のジミーがつきっきりでコーチをしてくれたというわけではない。事実、クリスは、「技術的にパパから教わったことはない」と明言している。
むしろ、ジミーは、クリスの両手打ちバックハンドに対して、最初は反対だった。小さい頃のクリスは、小柄でとても非力な少女だったため、バックハンドは両手で打っていた。ジミーは、それまで両手打ちバックハンドで大成したプレーヤーがいないという理由で、なんとかクリスの両手打ちをやめさせようとした。しかし、クリスがバックハンドを片手で打つと、ボールはまったくネットを越えていかなかった。
ジミーは仕方なくクリスの両手打ちを認めることにした。顔は怒りでまっ赤だった。将来、クリスの最大の武器となる両手打ちバックハンドは、あやうく父親のジミーによって、やめさせられるところだったのである。素直に従っていたら、どうなっていたことか―――。
それでも、なお、クリスのテニスはジミーによって築き上げられたといっても過言ではない。何を根拠にそう言い切れるのか。それはテニスが非常にメンタルなスポーツであることと無縁ではない。