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海外テニス

【レジェンドの素顔8】エバートが頂点に君臨できたのは、似たスタイルのライバルの存在にあり│前編<SMASH>

立原修造

2021.07.09

エバートは、プレースタイルの同じトレーシー・オースチンにだけは負けたくないと思っていたようだ。写真:THE DIGEST写真部

エバートは、プレースタイルの同じトレーシー・オースチンにだけは負けたくないと思っていたようだ。写真:THE DIGEST写真部

 クリスは声を上げて泣き出してしまった。涙が、壊れたポンプから吐き出る水のようにとめどもなく流れてきた。心配そうにクリスを見つめる夫のジョン。

「パパのためにも、明日のゲームは絶対に勝ちたいわ」

 クリスがこれほどの決意を見せたのも初めだった。フロリダの父親から激励の電話を受けて、その思いはいっそう強くなった。

 1980年全米オープン準決勝の前夜。クリスを情緒不安定に陥らせたのは、対戦相手のオースチンの存在だ。

 クリスは、前年の79年、全米オープン5連覇がかかった決勝戦でオースチンに敗れた。4―6、3-6の完敗だった。この年は春のイタリアン・オープン準決勝でもオースチンに敗れて、クレーコートでの連勝記録を125で止められていた。

 80年に入ってもクリスはオースチンに苦戦を続けた。10日間に3回続けて負けたこともあった。

 ナンバーワンの座をほしいままにしてきたクリスにとって、これはショックなことだった。しかもナブラチロワでなく、オースチンに負けたのが痛手を深くした。
 
 なぜならば、オースチンはクリスと同タイプのプレーヤーだったからだ。ベースライン・プレーヤー、両手打ちの名手、辛抱強い性格と、2人のゲーム運びはそっくり同じだったのだ。

 どちらも暖かい地方のテニス一家に生まれたという生活環境まで似ていた。2人のプレーぶりがあまりに同じなので、“鏡同士の試合”とも言われた。それだけにクリスはオースチンだけには負けたくなかった。負けた方は虚像になってしまうのだ。

 80年当時、ナブラチロワにも度々負けた。しかし、オースチンのときほどショックを受けなかった。クリスとナブラチロワはプレースタイルも違うし、性格も似ていない。対照的といってもいい。つまり、テニスが持つ多様性を考えれば、その日の調子によって負けることもある。現に、78年、79年とクリスはウインブルドンの決勝でナブラチロワに連敗したが、不利な芝のサーフェイスを理由にしていくらでも気分転換をはかることができた。

 しかし、オースチンに負けたときは、他にどんな理由も見つけられなかった。“弱いから負けた”という核心以外には――。

「トレーシーとプレーするのは、とても怖かった。彼女のゲーム運びはすばらしいし、その気になれば、どんなタフなプレーヤーになるか知っていたから」

 弱気になったら、テニスは勝てない。ラリーというのは、いわばボールを通して行なう“心のさぐりあい”だ。隙を見せればかならずそこを突かれる。オースチンのサイドからは、エバートの腰がさぞかし浮き上がって見えたことだろう。
 
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