1980年全米オープンの準決勝が始まった。クリスはあっという間に第1セットを0-4とリードされた。オースチンのプレーはいつもにましてゆるぎがなかったし、極度の緊張のせいか、いいスタートを切れなかった。
「今年もトレーシーが勝ちそうだ」
そんな雰囲気が、ニューヨークのナショナル・テニスセンターを包み始めていた。何よりも、観客の目から見ると、闘っている両者の表情に差がありすぎた。テニスを楽しんでいる、と言っては語弊があるが、オースチンはまるで自分のパパとラリーをしているかのように晴れ晴れとプレーしている。
一方のクリス。表情を変えずにプレーするのが彼女の持ち味ではあったが、今日に関しては何か労役につかされているかのようだ。ネットを挟んで、これほど鮮やかなコントラストを見せられると、両者が置かれている立場といったものを考えないわけにはいかない。
この1年、クリスは今一つ燃えない自分を感じていた。コートに立つということが徒労以外の何物でもなくなっていたのだ。それはそうだろう。テニスによって、欲しいものはすべて手に入れた。チャンピオンにもなった。あと残っているのは、その王座を守り抜くことだけ―――。
しかし、それは途方もない重労働にも思えた。かつては、コートに立てば黙っていても闘争心が湧いてきたものだが、今はよほど心を駆り立てても芽生えてくるものが少ない。
オースチンにはクリスを破るという目標が常にあった。目標があるうちはテニスも楽しい。しかし、クリスにはこれといった目標がない。結婚もして、幸せな自分に満足し切っている。
「このままではいけない!」
クリスの苛立ちは深くなる一方だった。準決勝戦の前夜、父親から激励の電話をもらって泣きじゃくってしまったのも、今までの自分があまりにふがいなかったからである。
――後編に続く
文●立原修造
【PHOTO】ボルグ、コナーズ、エドバーグetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1
「今年もトレーシーが勝ちそうだ」
そんな雰囲気が、ニューヨークのナショナル・テニスセンターを包み始めていた。何よりも、観客の目から見ると、闘っている両者の表情に差がありすぎた。テニスを楽しんでいる、と言っては語弊があるが、オースチンはまるで自分のパパとラリーをしているかのように晴れ晴れとプレーしている。
一方のクリス。表情を変えずにプレーするのが彼女の持ち味ではあったが、今日に関しては何か労役につかされているかのようだ。ネットを挟んで、これほど鮮やかなコントラストを見せられると、両者が置かれている立場といったものを考えないわけにはいかない。
この1年、クリスは今一つ燃えない自分を感じていた。コートに立つということが徒労以外の何物でもなくなっていたのだ。それはそうだろう。テニスによって、欲しいものはすべて手に入れた。チャンピオンにもなった。あと残っているのは、その王座を守り抜くことだけ―――。
しかし、それは途方もない重労働にも思えた。かつては、コートに立てば黙っていても闘争心が湧いてきたものだが、今はよほど心を駆り立てても芽生えてくるものが少ない。
オースチンにはクリスを破るという目標が常にあった。目標があるうちはテニスも楽しい。しかし、クリスにはこれといった目標がない。結婚もして、幸せな自分に満足し切っている。
「このままではいけない!」
クリスの苛立ちは深くなる一方だった。準決勝戦の前夜、父親から激励の電話をもらって泣きじゃくってしまったのも、今までの自分があまりにふがいなかったからである。
――後編に続く
文●立原修造
【PHOTO】ボルグ、コナーズ、エドバーグetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1