第3セットに入っても、クリスの優位は続いた。プレッシャーを感じ顔をこわばらせているのはオースチンの方だ。
そのとき、クリスは不思議な体験をしていた。思い通りにどんなショットでも打てるし、相手の打つボールがすべて読めたというのだ。こんな風に思えたのは、生まれて初めてのことだった。つまり、オースチンの打つボールがクリスには止まって見えたわけだ。これだけの精神状態に達すれば負けるはずがない。
第3セット、5ー1とクリスがリード。次の第7ゲームほど、この日のクリスを象徴しているゲームもない。サービスを決め、ドロップ・ショットを決め、もう一度ドロップ・ショットを決めて、マッチ・ポイント。最後はもう一度ドロップ・ショットを決めてゲーム・セットだ。
ラケットを放り投げたりはしなかったが、クリスは最高の気分だった。負けてはならない、ライバルに勝った喜び、そして、一つの壁を自らの手で突き破った喜びが重なった。逆に、なぜ負けたのかわからないまま呆然としていたのがオースチンだ。彼女は、最大の敗因が、クリスを怒らせてしまったことだと気がつかないでいたのだ。
続く決勝戦でもクリスはハナ・マンドリコワを下し、2年ぶり5度目の全米オープン優勝を飾った。この優勝は大きかった。テニスに情熟を失いかけていたクリスは、オースチンの脅威を振り切ることによって、再び甦ったのである。
“引退”は大記録がカギを握る
次に、ナブラチロワについてである。
これほど長い間、しかも最高のレベルで競い合う好敵手というのは、テニスに限らず、他のどんなスポーツにもいなかった。今後も出ることはないだろう。それだけ「エバートVSナブラチロワ」の存在は抜きん出ている。この2人を題材にすれば、何10本の名勝負物語が生まれるかしれない。
2人が初めて対戦したのは1973年だった。このときクリス18歳、ナブラチロワ16歳。クリスは無名のナブラチロワに初めて会ってその太りすぎにビックリしたという。その頃のナブラチロワはテニスができるような体格ではなかった。
スコアは7ー6、6―3でクリスの勝ち。クリスにとってショックだったのは、そんなナブラチロワにタイブレークまで迫られたことだった。それだけをみても、クリスが当時、ナブラチロワをどう見ていたかがわかる。以来14年間、2人の対戦は70回を超えた。70年代はクリスが圧倒していたが、80年代に入ってからはナブラチロワの方が断然分がいい。
そのとき、クリスは不思議な体験をしていた。思い通りにどんなショットでも打てるし、相手の打つボールがすべて読めたというのだ。こんな風に思えたのは、生まれて初めてのことだった。つまり、オースチンの打つボールがクリスには止まって見えたわけだ。これだけの精神状態に達すれば負けるはずがない。
第3セット、5ー1とクリスがリード。次の第7ゲームほど、この日のクリスを象徴しているゲームもない。サービスを決め、ドロップ・ショットを決め、もう一度ドロップ・ショットを決めて、マッチ・ポイント。最後はもう一度ドロップ・ショットを決めてゲーム・セットだ。
ラケットを放り投げたりはしなかったが、クリスは最高の気分だった。負けてはならない、ライバルに勝った喜び、そして、一つの壁を自らの手で突き破った喜びが重なった。逆に、なぜ負けたのかわからないまま呆然としていたのがオースチンだ。彼女は、最大の敗因が、クリスを怒らせてしまったことだと気がつかないでいたのだ。
続く決勝戦でもクリスはハナ・マンドリコワを下し、2年ぶり5度目の全米オープン優勝を飾った。この優勝は大きかった。テニスに情熟を失いかけていたクリスは、オースチンの脅威を振り切ることによって、再び甦ったのである。
“引退”は大記録がカギを握る
次に、ナブラチロワについてである。
これほど長い間、しかも最高のレベルで競い合う好敵手というのは、テニスに限らず、他のどんなスポーツにもいなかった。今後も出ることはないだろう。それだけ「エバートVSナブラチロワ」の存在は抜きん出ている。この2人を題材にすれば、何10本の名勝負物語が生まれるかしれない。
2人が初めて対戦したのは1973年だった。このときクリス18歳、ナブラチロワ16歳。クリスは無名のナブラチロワに初めて会ってその太りすぎにビックリしたという。その頃のナブラチロワはテニスができるような体格ではなかった。
スコアは7ー6、6―3でクリスの勝ち。クリスにとってショックだったのは、そんなナブラチロワにタイブレークまで迫られたことだった。それだけをみても、クリスが当時、ナブラチロワをどう見ていたかがわかる。以来14年間、2人の対戦は70回を超えた。70年代はクリスが圧倒していたが、80年代に入ってからはナブラチロワの方が断然分がいい。