コナーズもここまで軽く見られてしまっているのだ。できることならウィッケンの言葉を試合前のコナーズに聞かせてあげたかった。自分がなめられていることを知れば、もっと発奮しただろうに―――。
試合はワンサイドになった。ミスを恐れず積極的に打ち込んでくるウィッケンの前に、コナーズは翻弄されっぱなしだった。
唯一、観客が沸いたのは、ボールを追ったコナーズが勢い余って花壇の方に突っこんだときだけだったというのが、なんとも物悲しい。
スコアは6-2、6-4、7-5。1セットも取れずにコナーズは敗れ去った。初出場だったウィッケンは、「雲の上の存在だった人に勝てるなんて、最高の喜びだ」と一応しおらしくインタビューに答えていたが、それはあくまでも外交辞令。
その証拠に舌の根もかわかないうちに、「コナーズも今じゃただの年寄り。楽に勝てる相手だと、オレだけじゃなくみんなそう思ってるぜ」とペラペラと口にする始末だ。
まだ引退するわけにはいかない
全米オープンで3回戦負けを喫したことで、コナーズの周辺が騒がしくなった。
これまで何とかしてきた全米オープン(85年まで12連続のベスト4)で何もできなくなってきたからだ。それ以来、コナーズのことに触れた記事はかならず“引退か?”という予測でしめくくられるようになった。コナーズ本人の口ではなく、外野がなんともかしましい。
コナーズがもし日本のプレーヤーなら、周囲の人間にしきりと引退の勧告をされているだろう。
日本人はスポーツ選手にことさら“引き際の良さ”を求める。桜の花のように、潔く散れというわけだ。武士道も、引き際に美を求めた。その精神は、道こそ違うが、スポーツに脈々と受け継がれている。
しかし、アメリカの場合は違う。
まだ余力が残っているのに、かつての栄光に傷がつかない内にリタイアしようと考える者は少ない。誰が見ても引退すべきだったのに、いつまでもたるんだ腹をリング上にさらし続けたモハメド・アリを思い出せば、すぐに理解できることだ。
あるいは、日本にはほとんどいない40歳台のプロ野球選手が、アメリカ・大リーグにはゴロゴロいることでもわかる。山本浩二があっさりと引退してしまうなど、アメリカ人には理解できないことなのだ。
試合はワンサイドになった。ミスを恐れず積極的に打ち込んでくるウィッケンの前に、コナーズは翻弄されっぱなしだった。
唯一、観客が沸いたのは、ボールを追ったコナーズが勢い余って花壇の方に突っこんだときだけだったというのが、なんとも物悲しい。
スコアは6-2、6-4、7-5。1セットも取れずにコナーズは敗れ去った。初出場だったウィッケンは、「雲の上の存在だった人に勝てるなんて、最高の喜びだ」と一応しおらしくインタビューに答えていたが、それはあくまでも外交辞令。
その証拠に舌の根もかわかないうちに、「コナーズも今じゃただの年寄り。楽に勝てる相手だと、オレだけじゃなくみんなそう思ってるぜ」とペラペラと口にする始末だ。
まだ引退するわけにはいかない
全米オープンで3回戦負けを喫したことで、コナーズの周辺が騒がしくなった。
これまで何とかしてきた全米オープン(85年まで12連続のベスト4)で何もできなくなってきたからだ。それ以来、コナーズのことに触れた記事はかならず“引退か?”という予測でしめくくられるようになった。コナーズ本人の口ではなく、外野がなんともかしましい。
コナーズがもし日本のプレーヤーなら、周囲の人間にしきりと引退の勧告をされているだろう。
日本人はスポーツ選手にことさら“引き際の良さ”を求める。桜の花のように、潔く散れというわけだ。武士道も、引き際に美を求めた。その精神は、道こそ違うが、スポーツに脈々と受け継がれている。
しかし、アメリカの場合は違う。
まだ余力が残っているのに、かつての栄光に傷がつかない内にリタイアしようと考える者は少ない。誰が見ても引退すべきだったのに、いつまでもたるんだ腹をリング上にさらし続けたモハメド・アリを思い出せば、すぐに理解できることだ。
あるいは、日本にはほとんどいない40歳台のプロ野球選手が、アメリカ・大リーグにはゴロゴロいることでもわかる。山本浩二があっさりと引退してしまうなど、アメリカ人には理解できないことなのだ。