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海外テニス

「私を導いてくれた」バーティーがウェアに込めた思い。50年前のウインブルドン優勝者グーラゴングを追いかけて<SMASH>

内田暁

2021.07.12

勝利の瞬間、手で顔を覆いその場にうずくまったバーティー。(C)Getty Images

勝利の瞬間、手で顔を覆いその場にうずくまったバーティー。(C)Getty Images

 テニスが嫌いになりそうだ、ツアーにも行きたくない——。

 そんな悩みを抱えた彼女に、多くの大人は、励ましの言葉を掛けただろう。ただその時、「釣りにでも行きなさいよ!」というオーストラリア特有の言い回しで、休養を進めたのが、グーラゴングだった。

 果たして釣りには行ったかはわからないが、バーティーは18歳にしてツアーを離れ、そして約2年後に復帰する。クリケットなど他の競技もプレーし、家族や友人との時間も楽しみ、その末に「いかにこの競技が好きか再確認できた」彼女は、再び夢を追う道を選んだ。

 コロナ禍により11カ月間公式戦に出られず、そこからの「キャリアで最も長い遠征」の道中にいた彼女は、グーラゴングのウインブルドン初優勝から50年の記念の年に、彼女の功績を世に広めたいと願った。

「彼女は、私を導いてくれた。未踏の地を切り開き、後進のために道を整備してくれた」。その恩に報いる最大の方法こそが、同じ意匠のウェアを身に着け、同じコートで同じトロフィーを掲げることだったのだろう。
 
 識者をうならせ、ファンを沸かせる完成度の高いテニスで、子どもの頃からの“夢”を叶えた時、彼女はその場にしゃがみこみ、両手に顔をうずめた。

 表彰式ではいつもの冷静さを取り戻し、笑顔でファンやチームスタッフに謝意を述べる彼女の声が、涙でつまったのは、グーラゴングについて言及した時。

「イボンヌが、私を自慢に思ってくれれば良いんだけれど……」。そう言うと、子どものように目元をぬぐった。
 
 世界1位で迎えたウインブルドン。前回大会優勝者のシモナ・ハレップが欠場したため、代わりに立った大会2日目のセンターコート。まるで運命に導かれたかのようなフィナーレに、25歳になった、かつての天才少女は言った。

「私は、全ての事象には理由があると信じている」。そして今度は自らが、「あとに続く子どもたちのために、道を切り開きたい」のだと。

現地取材・文●内田暁

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