テニスが嫌いになりそうだ、ツアーにも行きたくない——。
そんな悩みを抱えた彼女に、多くの大人は、励ましの言葉を掛けただろう。ただその時、「釣りにでも行きなさいよ!」というオーストラリア特有の言い回しで、休養を進めたのが、グーラゴングだった。
果たして釣りには行ったかはわからないが、バーティーは18歳にしてツアーを離れ、そして約2年後に復帰する。クリケットなど他の競技もプレーし、家族や友人との時間も楽しみ、その末に「いかにこの競技が好きか再確認できた」彼女は、再び夢を追う道を選んだ。
コロナ禍により11カ月間公式戦に出られず、そこからの「キャリアで最も長い遠征」の道中にいた彼女は、グーラゴングのウインブルドン初優勝から50年の記念の年に、彼女の功績を世に広めたいと願った。
「彼女は、私を導いてくれた。未踏の地を切り開き、後進のために道を整備してくれた」。その恩に報いる最大の方法こそが、同じ意匠のウェアを身に着け、同じコートで同じトロフィーを掲げることだったのだろう。
識者をうならせ、ファンを沸かせる完成度の高いテニスで、子どもの頃からの“夢”を叶えた時、彼女はその場にしゃがみこみ、両手に顔をうずめた。
表彰式ではいつもの冷静さを取り戻し、笑顔でファンやチームスタッフに謝意を述べる彼女の声が、涙でつまったのは、グーラゴングについて言及した時。
「イボンヌが、私を自慢に思ってくれれば良いんだけれど……」。そう言うと、子どものように目元をぬぐった。
世界1位で迎えたウインブルドン。前回大会優勝者のシモナ・ハレップが欠場したため、代わりに立った大会2日目のセンターコート。まるで運命に導かれたかのようなフィナーレに、25歳になった、かつての天才少女は言った。
「私は、全ての事象には理由があると信じている」。そして今度は自らが、「あとに続く子どもたちのために、道を切り開きたい」のだと。
現地取材・文●内田暁
【PHOTO】プレーの合間に垣間見えるトッププロの素顔
そんな悩みを抱えた彼女に、多くの大人は、励ましの言葉を掛けただろう。ただその時、「釣りにでも行きなさいよ!」というオーストラリア特有の言い回しで、休養を進めたのが、グーラゴングだった。
果たして釣りには行ったかはわからないが、バーティーは18歳にしてツアーを離れ、そして約2年後に復帰する。クリケットなど他の競技もプレーし、家族や友人との時間も楽しみ、その末に「いかにこの競技が好きか再確認できた」彼女は、再び夢を追う道を選んだ。
コロナ禍により11カ月間公式戦に出られず、そこからの「キャリアで最も長い遠征」の道中にいた彼女は、グーラゴングのウインブルドン初優勝から50年の記念の年に、彼女の功績を世に広めたいと願った。
「彼女は、私を導いてくれた。未踏の地を切り開き、後進のために道を整備してくれた」。その恩に報いる最大の方法こそが、同じ意匠のウェアを身に着け、同じコートで同じトロフィーを掲げることだったのだろう。
識者をうならせ、ファンを沸かせる完成度の高いテニスで、子どもの頃からの“夢”を叶えた時、彼女はその場にしゃがみこみ、両手に顔をうずめた。
表彰式ではいつもの冷静さを取り戻し、笑顔でファンやチームスタッフに謝意を述べる彼女の声が、涙でつまったのは、グーラゴングについて言及した時。
「イボンヌが、私を自慢に思ってくれれば良いんだけれど……」。そう言うと、子どものように目元をぬぐった。
世界1位で迎えたウインブルドン。前回大会優勝者のシモナ・ハレップが欠場したため、代わりに立った大会2日目のセンターコート。まるで運命に導かれたかのようなフィナーレに、25歳になった、かつての天才少女は言った。
「私は、全ての事象には理由があると信じている」。そして今度は自らが、「あとに続く子どもたちのために、道を切り開きたい」のだと。
現地取材・文●内田暁
【PHOTO】プレーの合間に垣間見えるトッププロの素顔