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海外テニス

日本女子テニス期待の20歳内島萌夏!全仏オープン予選決勝敗退もランキングは半年で500位台から209位へ<SMASH>

内田暁

2022.05.21

同年代のライバルたちが大会を通じて結果を出していく中、内島は中国に残ってプロとして戦える土台づくりに時間を費やしたという。写真=内田暁

同年代のライバルたちが大会を通じて結果を出していく中、内島は中国に残ってプロとして戦える土台づくりに時間を費やしたという。写真=内田暁

「試合がない時が、思い切って技術を変えられる時。試合がない期間がどれくらいかも分からなかったけれど、中国ならアランも他のコーチもいるし、練習できる選手たちもたくさんいるので」

 大会がなくなった不遇の期間を、内島はむしろ、腰を据えて練習する好機ととらえた。特にフォアハンドは、抜本的な変革に取り組んだという。

「まずはラケットを変え、フォアハンドはグリップの握り方から変えました。わたしのグリップはもともと厚かったので、もうちょっと薄くしたんです」

『厚いグリップ』とは、地面に置いたラケットのグリップを上からつかむような握り方。ボールにスピンを掛けるのに適していると言われる。

 内島はその握りの角度を、ラケット面と手のひらが同方向に向く方へと少しスライドさせた。狙いは、「できることを増やす」こと。スライスやボレーなどを選択肢に加え、プレーの幅を広げる青写真を、わずかに変えた角度の先に見ていた。
 
 長引くコロナ禍と中国の厳しい入国規制のため、最低3か月を覚悟したツアー離脱は半年になり、そして1年を超えていった。

 その間、同年代の日本人選手たちは、海外遠征に出てランキングを上げていく。日本国内でも、同期で仲の良い川村茉那と光崎楓奈が、全日本選手権で頂上決戦を演じた。

 それら周囲の動きを見て、焦りは感じなかっただろうか?

「なかったですね」と内島は、向けた問いに即答する。

「自分はそれこそ、色々と直されていたので。直している最中に、試合に出て自信を持って挑めるかと言ったら、そうは言えなかった。自分が納得いくまで練習してから遠征に行こうと思ったので。焦りはなかったですね」

 その納得感が満たされた機と、効率的な遠征スケジュールを組めるタイミングが重なったのが、昨年8月。約1年半ぶりに出場した最初のチュニジア下部大会(賞金総額1万5000ドル)で、いきなりの2大会連続優勝を成した。

 この好スタートで勢いを得た内島は、出場大会のレベルも上げていく。フォアハンドの手応えが確信に変わりはじめたのは、ポルトガルの賞金総額2万5000ドル大会で優勝した時。
 
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