コロナ禍でツアー転戦が困難だった時期も、彼は「逆にチャンスだなと思った」という。
「多くの選手が行けない、行きたくない状況で、どんどんチャレンジしていったら、誰かが僕を見てくれるんじゃないかって。人と違うことに挑戦しようと思ったので、他の選手が行かないことがモチベーションになったと思うんです」
ちょっと捻くれた考え方なので――そう言うと彼はまた、口の片端を上げ、目には悪戯っぽい光を湛えて笑った。
初めてランキング100位台に入ったのは、今年6月のこと。ポルトガルのATPチャレンジャー(下部大会)で優勝し、メキシコのATP250では予選を突破し本戦の舞台も踏んだ。
こうなると周囲は突如、「最近好調だね」「何か変えたの?」と尋ねてくる。
だが内田は、「何も変えてませんよ」とサラリと応じた。
「いろんな国で、いろんな選手とやってると、いろんな自信もついてくる。もともと自分のテニスには自信があったんで、こうやって周っていれば、どこかで必ずチャンスは巡って来ると思っていた。それがやっと、少し花が咲いた感じですね」
それは、歩みを止めなければわずかでも必ず前進するという、内田にとっては、あまりに当然の摂理だった。彼が「人と違う」道を選んでいるように見えるのは、他の人が逸れていくだけで、彼の歩みはどこまでもまっすぐだ。
グランドスラム予選に出られる今の地位は、長年、目指してきた場所ではある。ただ当然ながら、ここがゴールではない。
「本戦に出て勝つことが目標なので、ぜんぜん、そこに達してない。みんな『調子いいね、乗っているね』と言ってくれてるけれど、ぜんぜんそうは感じてないので」
ジュニア時代に公言した夢は、「すべてのグランドスラムと、オリンピックでも優勝する」こと。
それは、ほぼ不可能な夢ではあるが、「限りなくゼロでも、可能性があるうちは目指す“べき”だと僕は思っている」と彼は言った。「べき」と口に出したとき、自ずと音に熱がこもる。
「応援してくれる人もいるので、チャレンジするべきだなと思っているので」。
それらの思いも受け止め、戦い続けること――それが内田曰く、「僕なりのポリシー」だ。
取材・文●内田暁
【PHOTO】全米オープン2021で躍動した男子選手たちの厳選写真を一挙公開!
「多くの選手が行けない、行きたくない状況で、どんどんチャレンジしていったら、誰かが僕を見てくれるんじゃないかって。人と違うことに挑戦しようと思ったので、他の選手が行かないことがモチベーションになったと思うんです」
ちょっと捻くれた考え方なので――そう言うと彼はまた、口の片端を上げ、目には悪戯っぽい光を湛えて笑った。
初めてランキング100位台に入ったのは、今年6月のこと。ポルトガルのATPチャレンジャー(下部大会)で優勝し、メキシコのATP250では予選を突破し本戦の舞台も踏んだ。
こうなると周囲は突如、「最近好調だね」「何か変えたの?」と尋ねてくる。
だが内田は、「何も変えてませんよ」とサラリと応じた。
「いろんな国で、いろんな選手とやってると、いろんな自信もついてくる。もともと自分のテニスには自信があったんで、こうやって周っていれば、どこかで必ずチャンスは巡って来ると思っていた。それがやっと、少し花が咲いた感じですね」
それは、歩みを止めなければわずかでも必ず前進するという、内田にとっては、あまりに当然の摂理だった。彼が「人と違う」道を選んでいるように見えるのは、他の人が逸れていくだけで、彼の歩みはどこまでもまっすぐだ。
グランドスラム予選に出られる今の地位は、長年、目指してきた場所ではある。ただ当然ながら、ここがゴールではない。
「本戦に出て勝つことが目標なので、ぜんぜん、そこに達してない。みんな『調子いいね、乗っているね』と言ってくれてるけれど、ぜんぜんそうは感じてないので」
ジュニア時代に公言した夢は、「すべてのグランドスラムと、オリンピックでも優勝する」こと。
それは、ほぼ不可能な夢ではあるが、「限りなくゼロでも、可能性があるうちは目指す“べき”だと僕は思っている」と彼は言った。「べき」と口に出したとき、自ずと音に熱がこもる。
「応援してくれる人もいるので、チャレンジするべきだなと思っているので」。
それらの思いも受け止め、戦い続けること――それが内田曰く、「僕なりのポリシー」だ。
取材・文●内田暁
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