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海外テニス

【レジェンドの素顔13】ステファン・エドバーグがバックハンドを両手から片手に変えた理由とは?│前編<SMASH>

立原修造

2023.05.05

クレーコートでサーブ&ボレーを貫き、やがてボレーの名手となった。(C)Getty Images

クレーコートでサーブ&ボレーを貫き、やがてボレーの名手となった。(C)Getty Images

 エドバーグが育ったベスタビックは人口2万3千人の小さな町だった。もちろん、ジュニアを育てる優秀なコーチなどいるはずがなかった。そのため、エドバーグは技術に関することは全て自分で考えなくてはならなかった。

 10代前半の頃、エドバーグが特に力を入れたのはサービスとボレーだった。彼の周囲では、ボルグ型のベースラインプレーに打ち込んでいる仲間が多かったが、エドバーグは迎合しなかった。

「いつも、サービスばかりやっていたね。サービス練習はすぐに飽きるって他の連中は言ってたけど、僕はそうは思わなかった。特に力を入れたのはセカンド。それはファーストよりセカンドの方が大事だと考えたからなんだ。ボレー練習も欠かさなかった」

 スウェーデンのテニスコートは、ほとんどがクレーコートだった。クレーは球速が遅くなるだけに、サーブ&ボレーのプレースタイルには不利だった。しかし、エドバーグはあえてサーブ&ボレーにこだわった。テンポの速いテニスが、自分の性に合うと考えていたからである。
 
 相手のミスを待つテニスなんてクソくらえ! とまで思っていた。サーブ&ボレーに不利なクレーコートは、逆に、エドバーグの目指す攻撃テニスの良き鍛練場になった。

 とにかく、よくパスを抜かれた。中途半端なネットプレーでは相手の餌食になることを何度も思い知らされた。そうした屈辱の中で彼は、サービスにしてもボレーにしても、深く入れないことには話にならないことを学んだ。相手の足元めがけて深く!深く!それが10代前半のエドバーグのメインテーマだった。

 そしてエドバーグは世界でも有数なボレーの名手になった。ボレーの角度と深さにおいては天下一品である。マッケンローのボレーをカミソリとすれば、エドバーグのそれはナタに例えられるだろう。

~~後編へ続く~~

文●立原修造
※スマッシュ1987年8月号から抜粋・再編集
(この原稿が書かれた当時と現在では社会情勢等が異なる部分もあります)

【PHOTO】ネットに出ることを想定したエドバーグのスピンサービス「30コマの分解写真」
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