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海外テニス

【レジェンドの素顔14】ステファン・エドバーグの前に立ちはだかるライバルたち│前編<SMASH>

立原修造

2023.12.06

エドバーグはベッカーをより意識するようになった。写真:スマッシュ写真部

エドバーグはベッカーをより意識するようになった。写真:スマッシュ写真部

今度はエドバーグがベッカーを憎む番だ――

 1986年7月、ベッカーがウインブルドンで2連覇を達成した瞬間、まさにその時エドバーグは、言いようのない虚脱感を感じた。全身からサーッと血が引けていくあの感じ。まるで自分が自分でないみたいだった。その半年前、エドバーグは、全豪オープンに初優勝した。これで、先行するベッカーの影を踏んだつもりでいた。あとは、一気に抜き去るのみ――。

 しかし、影はあまりに素早かった。同じウインブルドンで、エドバーグは無残な敗戦を喫した。3回戦でメシールにストレートで敗れたのだ。順当にいけば、準々決勝でベッカーと当たるはずだった。そのことが1回戦から頭にこびりついていた。その気負いを見すかされたように、メシールに翻弄されてしまった。先を急ぎすぎるとろくなことがないのだ。

 一方、ベッカーは強かった。彼は自分の才能を生かす術を知っている。以来、エドバーグはさらに強くベッカーを意識するようになった。周囲も何かある度にエドバーグとベッカーを対比させ、2人の対抗意識を煽った。

 思えば、立場というものは、短期間でガラリと変わるものである。エドバーグはジュニア時代からよくベッカーと一緒にプレーをした。その時、エドバーグはベッカーのことをただハードにヒットしてくるヤンチャ坊主としか思わなかった。
 
 はっきり言えば、ベッカーなど眼中にはなかった。当時のエドバーグのライバルはジョン・フローリーであり、当時はフローリーに勝つことだけを考えていた。

 しかし、その後の2人の立場は大きく変わった。ジュニア・グランドスラムを達成して鳴り物入りでプロデビューしたエドバーグは、順調にランキングを上げていったが、ベッカーの加速度はそれを大幅に上回った。

 かつてボブ・ディランは「10年も経てば、ビリがトップになる」と歌ったが、ベッカーの天賦の才は10年をたった2年に短縮させてしまったのである。この時点で、どちらが相手を憎んでいただろうか。それはもちろんベッカーの方である。ジュニア時代の超エリートだったエドバーグをとことん憎むことで、ベッカーは闘志を燃え上がらせていった。

 テニスは“早熟”を好む。後生に名を残すほど偉大なプレーヤーは、そのデビュー時が常にセンセーショナルである。コナーズ、ボルグ、マッケンロー。彼らは皆デビュー時に神話を残した。そして、ベッカー。偉大な先輩たちの後継者になる権利を得たのはベッカーの方だった。今度はエドバーグがベッカーを憎む番である。

~~後編へ続く~~

文●立原修造
※スマッシュ1987年9月号から抜粋・再編集
(この原稿が書かれた当時と現在では社会情勢等が異なる部分もあります)

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