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国内テニス

『SBCドリームテニスツアー・ファーストラウンド』優勝の菊地裕太!無名だった少年がなぜ強豪高経由で米大卒のプロになれたのか<SMASH>

内田暁

2023.07.31

「中学生までは、やっぱり練習量が少なかった」と振り返る菊地は、高校進学同時に豊富な練習時間を得て一気に開花した。写真:内田暁

「中学生までは、やっぱり練習量が少なかった」と振り返る菊地は、高校進学同時に豊富な練習時間を得て一気に開花した。写真:内田暁

 菊地が荒井監督の目に留まったのは、「中学3年時のジュニア大会で、第1シードの選手と対戦した時」だったという。もしかしたら監督のお目当ては、第1シードの方だったのかもしれない。現にその試合で菊地は「ファーストセットは取ったんですが、そこからボコボコにされました」とカラリと振り返る。

 ただ実際に監督が惹かれたのは、菊地だった。後に菊地は監督から、「お前のスプリットステップが素晴らしかったから」と理由を聞かされたという。

 監督の慧眼が確かなことは、在学中の彼の急成長が証明する。本人曰く、3年間で最も伸びたのは「基礎力」であり、それを支えたのは、何にも増して練習量だった。

「中学生までは、やっぱり練習量が少なかった。通っていた地元のテニスクラブはインドアがなかったので、冬は雪かきしながらで練習時間は1~2時間でした。僕より上の代には全国大会に出るような選手もいなかったですし、岩手県出身のプロテニス選手もいないそうなんです」
 
 限られた状況で培った集中力と自己分析力は、豊富な練習時間を得て一気に開花。そのように自分に必要な環境を求める彼の嗅覚は、高校卒業時には海の向こうを志向した。

「高校選抜を優勝したので、USオープンジュニアに出ることができて、その時からアメリカの大学からもオファーを頂くようになりました。それで何校か実際に見に行ったら、やっぱ、もうすごい! と思って。コーチにトレーナー、ドクターも全部揃っている施設で練習やトレーニングすることは、今プロになるよりも自分には良いだろうと判断しました」

 UCバークレーのキャンパスに足を踏み入れた時、「ビビッ」と身体を貫いた直感に従うことに、迷いはなかった。

 ただ、UCバークレーは州立の名門校。テニスの能力は申し分なくとも、入学に際しては学問の成績も求められる。そこで部活を卒業した高校3年生の秋以降は、塾にも通い猛勉強。その甲斐あってTOEFLのスコアも無事クリアし、19歳の誕生日目前に渡米した。
 
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