その土居が、敬愛を込めて「雲の上の存在だった」と評する同期の奈良くるみは、今年から全日本ジュニアのトーナメントディレクターに就任。ジュニア時代からグランドスラムの舞台を踏み、そのまま世界で活躍した奈良は、全日本ジュニアにも「世界基準」の概念を取り入れた。
試合当日の会場での練習確保や暑熱対策にしても、ツアーと同様のフォーマットを採用。選手たちには自ら声を掛け、悩みを聞き助言を与えてきた。その奈良が、「Road to AO」ではトーナメントアドバイザーを勤め、やはり会場で選手たちの戦いに目を凝らす。
「全日本ジュニアで活躍した子たちがこの大会にも出ているので、やはり応援したいなという気になります」
そう語る奈良もやはり、「グランドスラムジュニアに出たことで、大人になって、ここに戻って来たいなという思いを持つことができた」と言葉に力を込めた。
そのような格好のチャンスが得られるこの「Road to AO」の始まりは、2018年まで遡る。同年、住友ゴムは全豪オープンとオフィシャルスポンサーを締結し、翌年よりダンロップが公式球となることが決まった。かくして、同社とオーストラリアのテニス協会が手を結んだ時、「アジアでのテニスの普及と強化」が共通の願いとして立ち上がる。
「オーストラリアテニス協会としては、アジア地域での裾野を広げたいという考えがある。私たちとしては、ジュニアが育ち、世界に飛び出すというのは非常に夢のある話なので、それをサポートさせて頂きたいと思いました」
ダンロップの母体、住友ゴム工業の川松英明スポーツ事業本部長が、述懐する。そのような両者の想いの交錯点で誕生したのが、この大会だ。
ただいきなり、今の形になった訳ではない。初回大会で優勝者に与えられたのは、全豪オープンジュニアの前哨戦大会へのワイルドカードだった。
2021年には、その前哨戦がコロナ禍により中止となったため、2020年優勝者のオーストラリア派遣を断念。それでもメルボルンへの扉を閉ざすことなく、翌21年にも「Road to AO」を開催する。
その時の 優勝者は、男子が原﨑朝陽で、女子が木下晴結。当時はジュニアの国際大会がことごとく中止になり、ジュニア選手がランキングを上げるのは困難な情勢下であった。「Road to AO」の参戦者も日本人のみだったが、ダンロップがオーストラリアテニス協会と粘り強く交渉した結果、両選手には22年全豪ジュニアの予選ワイルドカードが与えられた。
試合当日の会場での練習確保や暑熱対策にしても、ツアーと同様のフォーマットを採用。選手たちには自ら声を掛け、悩みを聞き助言を与えてきた。その奈良が、「Road to AO」ではトーナメントアドバイザーを勤め、やはり会場で選手たちの戦いに目を凝らす。
「全日本ジュニアで活躍した子たちがこの大会にも出ているので、やはり応援したいなという気になります」
そう語る奈良もやはり、「グランドスラムジュニアに出たことで、大人になって、ここに戻って来たいなという思いを持つことができた」と言葉に力を込めた。
そのような格好のチャンスが得られるこの「Road to AO」の始まりは、2018年まで遡る。同年、住友ゴムは全豪オープンとオフィシャルスポンサーを締結し、翌年よりダンロップが公式球となることが決まった。かくして、同社とオーストラリアのテニス協会が手を結んだ時、「アジアでのテニスの普及と強化」が共通の願いとして立ち上がる。
「オーストラリアテニス協会としては、アジア地域での裾野を広げたいという考えがある。私たちとしては、ジュニアが育ち、世界に飛び出すというのは非常に夢のある話なので、それをサポートさせて頂きたいと思いました」
ダンロップの母体、住友ゴム工業の川松英明スポーツ事業本部長が、述懐する。そのような両者の想いの交錯点で誕生したのが、この大会だ。
ただいきなり、今の形になった訳ではない。初回大会で優勝者に与えられたのは、全豪オープンジュニアの前哨戦大会へのワイルドカードだった。
2021年には、その前哨戦がコロナ禍により中止となったため、2020年優勝者のオーストラリア派遣を断念。それでもメルボルンへの扉を閉ざすことなく、翌21年にも「Road to AO」を開催する。
その時の 優勝者は、男子が原﨑朝陽で、女子が木下晴結。当時はジュニアの国際大会がことごとく中止になり、ジュニア選手がランキングを上げるのは困難な情勢下であった。「Road to AO」の参戦者も日本人のみだったが、ダンロップがオーストラリアテニス協会と粘り強く交渉した結果、両選手には22年全豪ジュニアの予選ワイルドカードが与えられた。